朝日日本歴史人物事典 「茶屋四郎次郎(2代)」の解説
茶屋四郎次郎(2代)
生年:生年不詳
近世初頭の京都町方頭役。名は清忠。父初代四郎次郎清延,母藤原宗輔の娘の長男。慶長1(1596)年父より家督を相続し,父と同様徳川家康の戦陣に従軍し,諸事御用を務めた。関ケ原の戦(1600)後,茶屋新四郎らと家康に呼ばれ,京都町中の治安を尋ねられ,「京洛殊の外騒動の由」申し上げたことが,京都所司代設置の動機になったと伝えている。京都所司代板倉勝重が就任すると,清忠は重用され,京都の町割に関係し,また上方五カ所(京都,大坂,奈良,堺,伏見をいう)町人の御礼支配や,京都町方元締として惣町頭役を務めた。家康のもとで上方町人の把握と封建都市の形成に貢献している。なお妻帯することもなく早世した。<参考文献>「茶屋文書」(京都市茶屋武郎氏蔵)
(中田易直)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報