范文瀾(読み)はんぶんらん

日本大百科全書(ニッポニカ) 「范文瀾」の意味・わかりやすい解説

范文瀾
はんぶんらん / ファンウェンラン
(1893―1969)

中国、現代の文学者、歴史学者。浙江(せっこう)省紹興(しょうこう)県の人。四書五経の教育を受けたが、中学時代には西欧の翻訳小説を愛読した。1914年に北京(ペキン)大学中国文学科に入学。卒業後、校長蔡元培(さいげんばい)の秘書となったが、日本に留学し、マルクス主義に目を開かれたといわれる。帰国後、南開大学で教鞭(きょうべん)をとり、26年に『群経概論』を出版。一方、反帝愛国運動にも関与し、30年には北京の自宅で魯迅(ろじん)らの左翼作家連盟の代表と会っている。

 このころから歴史学に転じ、31年に『正史考略』を出版。40年には河南大学を辞して延安に行き共産党入党。41年に共産党幹部教科書として『中国通史簡編』を著し、マルクス主義の視点にたつ中国史の教本として評価された。45年には『中国近代史 上』を出版、『中国通史簡編』の修訂に精力的に取り組む一方、50年には中国科学院中国近代史研究所長、54年には第1回全国人民代表大会代表となった。

[春日井明]

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改訂新版 世界大百科事典 「范文瀾」の意味・わかりやすい解説

范文瀾 (はんぶんらん)
Fàn Wén lán
生没年:1893-1969

中国の歴史家浙江省紹興県の人。北京大学を卒業して日本に留学,河上肇著作などから社会主義を学んだ。帰国後,大学で教鞭をとるも,1940年に延安に入り,マルクス主義に立つ中国通史研究の先河を開いた。解放後,中国科学院近代史研究所所長,中共中央委員などの要職にありながら著述に励んだ。著書に《中国通史簡編》《中国近代史》(ともに未完)などがある。
執筆者:

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「范文瀾」の解説

范文瀾(はんぶんらん)
Fan Wenlan

1893~1969

中国現代の歴史研究者。浙江(せっこう)省紹興の人。北京大学卒業後,日本に留学して河上肇(はじめ)の著書に影響を受けてマルクス主義者となる。帰国後,南開大学,中国大学,北京大学などで中国文学を講じた。40年延安に入り,抗日戦争に従事した。その間,『中国通史簡編』や『中国近代史』を著した。中華人民共和国成立後は中国科学院近代史研究所所長などを務めた。また69年の中国共産党第9回全国代表大会(9中全会)では中央委員に選出された。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「范文瀾」の解説

范文瀾 はん-ぶんらん

1893-1969 中国の歴史学者。
光緒19年10月8日生まれ。日本に留学,河上肇の著作などから社会主義をまなぶ。帰国後は北京大などでおしえ,1940年中国共産党に入党。41年延安でマルクス主義にたった「中国通史簡編」をあらわす。50年歴史研究所第三所の所長。1969年7月29日死去。77歳。浙江省出身。北京大卒。著作に「中国近代史」など。

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百科事典マイペディア 「范文瀾」の意味・わかりやすい解説

范文瀾【はんぶんらん】

中国の歴史家。浙江省紹興県生れ。北京大学卒業。1940年に中国共産党の拠点である延安に入り,マルクス主義の観点から中国通史を研究。中華人民共和国独立後,中国科学院近代史研究所所長,中国共産党中央委員。著書《中国通史簡編》《中国近代史》など。

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