茂木町(読み)もてぎまち

日本歴史地名大系 「茂木町」の解説

茂木町
もてぎまち

[現在地名]茂木町茂木

槻木つきのき村・藤縄ふじなわ村の町場地域の総称。中央をさか川が北流、北部で西から流れる坂井さかのい川を合せて東流する。川を隔てた北方にはしろ山がある。城山には、中世茂木氏の居城(茂木城)があり、当町はその城下町として発達したと考えられる。慶長一五年(一六一〇)細川氏が当地に入部、茂木城を廃し、町内に藩庁組織を置き、郭内と称した。細川氏はのち常陸谷田部やたべ(現茨城県つくば市)に居所を移し、郭内に陣屋が置かれた。慶長期に、郭内を中心として近世的城下町の体裁をもった町として整備されたと思われる。郭内を包むように北と西に道が走り、郭内から西の道に通じる所に大手門が配された。享保期(一七一六―三六)には御本陣ごほんじん町・よこ町・砂田すなだ町・馬場ばば町・うら町・砂田下町などの町名が知られる(茂木明細記)。天保一三年(一八四二)の茂木陣屋絵図(生井家蔵)によれば、北の道に沿って東から浦(裏)町・砂田町・横町と続き、南に折れて西の通りに沿っておお町・てら町・なか町・町・かみノ町・かた町・しん町が続いている。

茂木町
もてぎまち

面積:一七二・五一平方キロ

郡の東端に位置し、東は北から茨城県那珂なか緒川おがわ村・東茨城郡御前山ごぜんやま村・西茨城郡七会ななかい村・笠間かさま市、西は市貝いちかい村・益子ましこ町、南は西茨城郡岩瀬いわせ町、北は那須郡烏山からすやま町。町域は南北に長く、標高二〇〇メートル前後の山地をなすが、南部は益子町境に五三三・三メートルの雨巻あままき山などがあってより高地となる。北部から北東部に那珂川が流れ、南部山中より流出して北流するさか川などを合流する。

茂木町
しげきまち

[現在地名]観音寺市観音寺町 茂木町・茂西町しげにしまち

観音寺村を構成する一地区で、同村の北東部、財田さいた川沿いに位置。元禄一一年(一六九八)の観音寺居所境内調書(観音寺市教育委員会蔵)には重喜町とみえ、御菜米七石・屋敷高一七石余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「茂木町」の意味・わかりやすい解説

茂木〔町〕
もてぎ

栃木県南東部,八溝山地南部の丘陵地にある町。 1889年町制。 1951年中川村の一部を編入,54年には逆川 (さかがわ) ,須藤,中川の3村と合体。かつてたばこ工場があったが,宇都宮へ移り,いまは繊維,電気機械,衣服が工業の中心。周辺は林野が広く,タバコのほかシイタケ,コンニャクイモなどの栽培が行われる。那珂川北岸に重要文化財の羽石家住宅がある。 97年,オーバルコースとロードコースを併設する「ツインリンクもてぎ」が完成した。町域の一部は那珂川県立自然公園益子県立自然公園に属する。真岡鐡道の終点。面積 172.69km2。人口 1万1891(2020)。

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