花森安治(読み)ハナモリヤスジ

デジタル大辞泉 「花森安治」の意味・読み・例文・類語

はなもり‐やすじ〔‐やすヂ〕【花森安治】

[1911~1978]ジャーナリスト兵庫の生まれ。第二次大戦中は大政翼賛会の宣伝部員。戦後大橋鎮子と共に、生活雑誌「暮しの手帖」を創刊編集消費者立場からの雑誌づくりで菊池寛賞受賞。「一銭五厘の旗」で読売文学賞

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「花森安治」の意味・わかりやすい解説

花森安治
はなもりやすじ
(1911―1978)

ジャーナリスト。明治44年10月25日神戸市に生まれる。東京帝国大学在学中から『帝国大学新聞』で活躍し、新聞のレイアウト異才発揮した。1940年(昭和15)大政翼賛会に入り、宣伝部で戦時スローガン制作などの仕事に携わった。戦後、戦時中の自己の活動に対する厳しい反省を基礎に、庶民の暮らし第一主義の思想にたって、1948年(昭和23)9月新しい形式の婦人家庭雑誌『暮しの手帖(てちょう)』を創刊、その編集に全精力を傾注した。花森は自由な言論を固守する立場から広告掲載を全廃するとともに、「暮しの実験室」を設けて徹底した商品テストを実施、実証主義ジャーナリズムを展開して、庶民の日常生活の防衛と変革、消費者運動の推進に大いに寄与した。昭和53年1月14日急逝。著書に『一五厘(いっせんごりん)の旗』などがある。

[高須正郎]

『『一五厘の旗』(1971・暮しの手帖社)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「花森安治」の意味・わかりやすい解説

花森安治
はなもりやすじ

[生]1911.10.25. 兵庫,神戸
[没]1978.1.14. 東京
ジャーナリスト,編集者,装丁家。1935年東京帝国大学文学部美学科卒業。第2次世界大戦中は大政翼賛会宣伝部に所属。「欲しがりません,勝つまでは」のスローガンを公募作から選ぶ。戦後,1948年に大橋鎮子とともに婦人家庭雑誌『暮しの手帖』を創刊。独自の商品テストによって,消費者の保護,育成を編集方針の根幹に掲げる。ビタミンCの含有をめぐる「ポッカレモン」の不当表示の告発石油ストーブの消火法をめぐる消防庁との「水かけ論争」などは,出版史上に残る。雑誌に他社の広告を載せると,その雑誌の自立性が失われるという信念から,自社の出版物以外の広告を載せない方針を貫いた。1956年菊池寛賞受賞。著書に『一戔五厘の旗』(1971)がある。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「花森安治」の解説

花森安治 はなもり-やすじ

1911-1978 昭和時代のジャーナリスト。
明治44年10月25日生まれ。東京帝大在学中に「帝国大学新聞」を編集。第二次大戦中は大政翼賛会の宣伝部員となる。昭和23年大橋鎮子(しずこ)と「美しい暮しの手帖」(のち「暮しの手帖」と改題)を創刊。商品テストなど消費者の立場からの雑誌づくりで31年菊池寛賞,47年著作「一〓(「銭」のつくり)(せん)五厘の旗」で読売文学賞。昭和53年1月14日死去。66歳。兵庫県出身。
【格言など】僕は,戦争が二度とおきないように,一人ひとり暮らしを大切にするのを助ける雑誌をつくりたい

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百科事典マイペディア 「花森安治」の意味・わかりやすい解説

花森安治【はなもりやすじ】

編集者。兵庫県生れ。東大美学科卒。戦争中に大政翼賛会宣伝部で才能を発揮。戦後,衣裳研究所(のち〈暮しの手帖社〉)を設立。1948年《美しい暮しの手帖》を創刊し,1954年《暮しの手帖》に改題。生活に根ざした,新しい婦人家庭雑誌をつくりあげた。1956年からは商品テストを実施。また他社広告を掲載しない編集を貫いた。著書《一銭五厘の旗》(読売文学賞)など。

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世界大百科事典(旧版)内の花森安治の言及

【暮しの手帖】より

…花森安治(1911‐78)が設立した衣裳研究所,のち暮しの手帖社から刊行されている隔月刊の婦人家庭雑誌。1948年9月《美しい暮しの手帖》という誌名で創刊。…

※「花森安治」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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