花岡山(読み)はなおかやま

日本歴史地名大系 「花岡山」の解説

花岡山
はなおかやま

横手よこて南西部にあり、標高一三三メートル。「国誌」は祇園ぎおん山と記し、東面は横手村、南は春日かすが村、北は戸坂とさか村にかかると記し、南を祇園平と称するとある。古くは勢高山と称したが、天元二年(九七九)祇園社を移してのち祇園山と称した。明治二年(一八六九)幕末期の志士を祀る招魂祠を建て桜を植樹し、花岡山と称した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「花岡山」の意味・わかりやすい解説

花岡山
はなおかやま

熊本市域のほぼ中央に位置する標高133メートルの安山岩質集塊岩からなる孤立丘陵。朝日山あるいは祇園山(ぎおんやま)とも称し、かつては南西の万日(まんにち)山(130メートル)、独鈷(どっこ)山(115メートル)などとともに金峰(きんぽう)山外輪山の南東末端部を形成。山頂には979年(天元2)鎮座の由来をもつ祇園社(現、北岡神社)があり、山麓(ろく)には細川家の菩提(ぼだい)寺妙解(みょうげ)寺跡(現、北岡自然公園)がある。1869年(明治2)勤王の志士を祀(まつ)る招魂祠(し)(現在は熊本城内の護国神社へ移祀(いし))を建立、桜樹が植えられて現称となる。西南戦争では、薩(さつ)軍の熊本城砲撃の陣地となる。その後、花岡山官軍墓地(神風連(しんぷうれん)の乱、西南戦争、日清(にっしん)・日露戦争で倒れた県官・将兵を葬る)も設けられた。山頂、山腹には、1954年(昭和29)インドのネルー首相から贈られた仏舎利を納めた仏舎利塔熊本洋学校のクリスチャン生徒による「キリスト教を以(も)って祖国を救う」ことを意図した奉教趣旨書署名90年を記念した熊本バンド奉教碑、殉教切支丹(キリシタン)加賀山マリアの墓などもある。熊本市の玄関口、熊本駅に近接していることもあって、四季を通じて来訪者が多い。

[山口守人]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「花岡山」の意味・わかりやすい解説

花岡山
はなおかやま

熊本県中部,熊本市の南西部にある孤立丘。標高 133m。金峰山の外輪山の裾野が断層によって切られた部分にあたり,かなり風化の進んだ輝石安山岩から成る。熊本市の中心市街地を見おろす絶好の展望台で,桜の名所。 1876年熊本洋学校教師の L.ジェーンズに導かれた生徒ら 35人がキリスト教の布教を誓って結成した,熊本バンドの発祥地として知られる。

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