良渚文化(読み)りょうしょぶんか

山川 世界史小辞典 改訂新版 「良渚文化」の解説

良渚文化(りょうしょぶんか)
Liangzhu

5300年前から4000年前に長江下流域太湖(たいこ)周辺に広がった新石器時代後期の文化。1936年に浙江(せっこう)省良渚で初めて黒陶などが発掘され,50年代に良渚文化と名づけられた。良渚遺跡では独特な玉器が大量に出土したし,墓地祭壇集落など複合遺跡であることがわかっている。円柱の穴の周囲に節のような方形が囲む独特な形の玉琮(ぎょくそう)が知られている。表面に刻された神人獣面紋は,良渚文化の人々が崇めた神の姿であろう。玉琮は祭祀,玉璧(ぎょくへき)は財産玉鉞(ぎょくえつ)は軍事を象徴し,有力者の墓に埋められた。

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百科事典マイペディア 「良渚文化」の意味・わかりやすい解説

良渚文化【りょうしょぶんか】

中国,長江下流域の新石器時代末期の文化。浙江省良渚鎮遺跡から名付けられた。後に華北中心に成立する王朝国家において儀礼必需品として重視され,また近代までその霊力が信じられた玉器優品を多く出土することで知られる。

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世界大百科事典(旧版)内の良渚文化の言及

【玉器】より

…玉器は中国において早く長江(揚子江)下流の新石器時代後期の良渚文化(前3千年紀中ごろ~前2千年紀初め)で高度に発達していることが最近明らかになった。装身具に腕輪,いわゆる玦状(けつじよう)耳飾,弓なりの首飾や小玉(こだま),垂飾,かんざし等がある。…

【上海】より

…《禹貢》にみえる〈三江既入,震沢底定〉(三江)はこの状態を示したという説もある。崗身より西には,金山県査山,上海県馬橋,青浦県崧沢(すうたく)など,多くの新石器時代遺跡があり,文化類型に応じて,馬家浜文化,崧沢文化,良渚文化などと呼ばれている。これらの文化は江蘇南部より浙江北部にかけて一つのまとまりをもって分布しており,同時期に江蘇北部より山東にかけて発達していた青蓮岡文化,大汶口文化とは,近似しながらも性格を異にしている。…

【浙江[省]】より

…たとえば紹興の南にある鑑湖は,後漢のとき,低湿地を安定させるために設けられた人工湖である。
[河姆渡文化から良渚文化へ]
 この豊かな自然を基盤に,非常に早くから農耕文化が発達していた。湾の南岸中央,余姚(よよう)県の河姆渡(かぼと)遺跡は前5000‐前4500年ころの長江流域で最も古い新石器時代遺跡で,水稲耕作,家畜飼育,南方特有の干闌式の住居などが確認されている。…

【良渚鎮遺跡】より

…中国,浙江省杭州市北西にある江南新石器文化後・末期の遺跡。1936年に調査され,良渚文化の名のもととなった。黒陶と磨製石器が共伴して出土した。…

※「良渚文化」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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