良岑安世(読み)よしみねのやすよ

精選版 日本国語大辞典 「良岑安世」の意味・読み・例文・類語

よしみね‐の‐やすよ【良岑安世】

平安前期の漢学者桓武天皇皇子大納言正三位に至る。「日本後紀」「内裏式」「経国集」などの編纂に携わった。延暦四~天長七年(七八五‐八三〇

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デジタル大辞泉 「良岑安世」の意味・読み・例文・類語

よしみね‐の‐やすよ【良岑安世】

[785~830]平安初期の学者漢詩人。桓武天皇の皇子。遍昭の父。蔵人頭・右近衛大将などを歴任藤原冬嗣らと「日本後紀」を撰修、「内裏式」を共撰した。また、滋野貞主しげののさだぬしらと「経国集」を編纂へんさん

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「良岑安世」の意味・わかりやすい解説

良岑安世
よしみねのやすよ
(785―830)

平安前期の漢詩人。桓武(かんむ)天皇の皇子、802年(延暦21)良岑朝臣(あそん)を賜り臣籍に下った。伎芸(ぎげい)に堪能で音楽をよく解した。雅楽頭(うたのかみ)、丹後(たんご)、但馬介(たじまのすけ)、蔵人頭(くろうどのとう)などを経て、814年(弘仁5)従(じゅ)四位下に至る。819年藤原冬嗣(ふゆつぐ)・緒嗣(おつぐ)らとともに『日本後紀(こうき)』を撰進(せんしん)した。821年、従三位中納言(ちゅうなごん)、この年冬嗣らとともに『内裏式(だいりしき)』を撰(えら)んだ。827年(天長4)には滋野貞主(しげののさだぬし)らと漢詩文集『経国(けいこく)集』を編纂(へんさん)、翌年大納言(だいなごん)に任じた。同7年に薨(こう)じ、正二位を贈られた。作品は『凌雲集(りょううんしゅう)』以下の勅撰漢詩集に13首とられている。その詩には中国六朝(りくちょう)詩とともに初唐詩の影響がみられ、五言詩が多く絶句体に特徴がうかがえる。

金原 理]

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改訂新版 世界大百科事典 「良岑安世」の意味・わかりやすい解説

良岑安世 (よしみねのやすよ)
生没年:785-830(延暦4-天長7)

平安初期の賜姓皇族。桓武天皇の子で,802年(延暦21)良岑朝臣を賜る。809年(大同4)従五位下,左近衛少将,左少弁ののち,811年(弘仁2)蔵人頭,左衛門佐を経,814年従四位下,左衛門督となる。816年右大弁,参議に任じられ,左大弁ののち,821年従三位,中納言となり,翌年春宮大夫,823年正三位,右近衛大将,828年(天長5)大納言となる。《内裏式》《経国集》を編集し,《日本後紀》の撰修にも参加した。
執筆者:

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「良岑安世」の解説

良岑安世
よしみねのやすよ

785~830.7.6

良峰とも。平安初期の公卿。桓武天皇皇子。母は女嬬(にょじゅ)百済永継。藤原冬嗣(ふゆつぐ)の同母弟。宗貞(僧正遍照)・晨直(ときなお)らの父。若くして狩猟を好み,多くの伎芸をよくした。802年(延暦21)良岑朝臣を賜姓されて臣籍降下し,右京に貫付。809年(大同4)従五位下。才により武官を兼ね,書や音楽もよくしたという。右近衛少将・雅楽頭・左少弁などを歴任し,811年(弘仁2)蔵人頭。その後左衛門督・右大弁を兼ね,815年に左京に貫付。翌年参議。821年従三位・中納言。のち按察使(あぜち)・春宮大夫・右近衛大将などを兼任。828年(天長5)大納言。「日本後紀」「内裏式」の編纂に従事。「経国集」に多くの漢詩を残す。

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朝日日本歴史人物事典 「良岑安世」の解説

良岑安世

没年:天長7.7.6(830.7.29)
生年:延暦4(785)
桓武天皇と女孺百済永継の子。母については永継の娘とも,飛鳥井奈止丸の娘とも,あるいは両者は同一人物ともいい,諸説あり。延暦21(802)年12月,良峯(良岑)の姓を賜り右京の住人として登録された(815年左京に移る)。良峯(京都市西京区)は母の出身地に由来する姓名かもしれない。のち左衛門督,左大弁などを歴任,天長5(828)年中納言から大納言に昇進した。幼いころから鷹犬を好み,伎芸万端,書や音楽にも秀でていたという。『日本後紀』『内裏式』などの編纂に携わり,『凌雲集』『文華秀麗集』『経国集』などに詩を収めている。

(瀧浪貞子)

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「良岑安世」の解説

良岑安世 よしみねの-やすよ

785-830 平安時代前期の公卿(くぎょう),漢詩人。
延暦(えんりゃく)4年生まれ。桓武(かんむ)天皇の皇子。母は百済永継(くだらの-えいけい)。遍昭(へんじよう)の父。平城(へいぜい)・嵯峨(さが)・淳和(じゅんな)の3朝につかえ,弘仁(こうにん)14年正三位となり,天長5年大納言。「日本後紀」,漢詩集「経国(けいこく)集」などの編集にくわわる。詩は「文華秀麗(ぶんかしゅうれい)集」「凌雲(りょううん)集」などにみえる。天長7年7月6日死去。46歳。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「良岑安世」の意味・わかりやすい解説

良岑安世
よしみねのやすよ

[生]延暦4(785).京都
[没]天長7(830).7.6. 京都
平安時代初期の廷臣。桓武天皇の皇子。延暦 21 (802) 年良岑朝臣の姓を賜わった。官職は大納言に進んだ。漢詩をよくし,『経国集』編集の一人。

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世界大百科事典(旧版)内の良岑安世の言及

【経国集】より

…書名は,〈文章は経国の大業,不朽の盛事〉という魏の文帝の〈典論・論文〉による。淳和天皇の勅を奉じ,良岑安世(よしみねのやすよ)が滋野(しげの)貞主,南淵弘貞,菅原清公ら数名とともに協議して編集したもの。体裁分類など《文選》を学ぶ。…

【青海波】より

…《青海波》の袍は青海波の地紋に千鳥模様を刺繡した麴塵袍(きくじんのほう)といい,舞楽装束のうちでもっとも華麗なものである。輪台,青海はともに中国の西域地方の地名とされ,《輪台》は唐時代に中国で作られ日本に伝えられたとする説や,承和年間(834‐848)に勅命によって,大納言良岑安世(よしみねのやすよ)が舞を作り,小野篁(おののたかむら)が詠(えい)(現在,詞のみ残っているが,発声法が伝わっていない)を作ったという説もある。一方,《青海波》は,音楽を太田麿あるいは大戸清上(おおとのきよがみ),舞を良岑安世が作ったとされる。…

※「良岑安世」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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