船橋(読み)ふなばし

精選版 日本国語大辞典 「船橋」の意味・読み・例文・類語

ふな‐ばし【船橋】

[1] 〘名〙
① (「ふなはし」とも) 多数の船を横に並べて綱または鎖でつなぎ、その上に板を渡して橋としたもの。橋梁のかけにくい河川に恒久的に設けるものと、橋梁のない河川で臨時に設けるものがある。浮橋。
万葉(8C後)一四・三四二〇「上毛野の佐野の布奈波之(フナハシ)取り放し親は放(さ)くれど我(わ)は離るがへ」
② ((二)(一)から) 男女の仲の絶えることをいう。
※浮世草子・小夜衣(1683)四「ふなばしとはいもせの中たへることにいへり」
[2]
[一] 謡曲。四番目物。各流。古曲を世阿彌が改作したもの。古名「佐野船橋」。三熊野の山伏が上野国佐野で橋の建立の供養をしている男女に会う。二人は、昔この地に川を隔てて住んでいた相思の男女が、これを嫌った両親に橋板をとられて川に落ちてともに死んだという話をし、自分たちがその男女だと明かして姿を消す。山伏がその回向のため加持をすると二人の亡霊が現われ、邪淫妄執で苦患をうけている様子を演じ、やがて法力によって成仏する。
[二] 千葉県北西部の地名。東京湾に面する。江戸時代は千葉街道と成田街道との分岐点にある宿場町・漁業の町として発展。明治二七年(一八九四)総武鉄道(現在JR総武線)の開通により東京と直結、のち、次第に東京の住宅衛星都市化する。海岸は埋め立てられて京葉工業地帯の一中心。昭和一二年(一九三七)市制。

せん‐きょう ‥ケウ【船橋】

〘名〙
① たくさんの船を並べて、その上に板をかけ渡した橋。ふなばし。〔遼史‐聖宗紀〕
② 船の上甲板の上にあって、船長が、船の航行・運用・通信などの指揮をする場所。ブリッジ。〔和蘭字彙(1855‐58)〕
※北の岬(1966)〈辻邦生〉「その真上に運転士達のいる操舵室の眺望のいい船橋が張りだしていた」

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デジタル大辞泉 「船橋」の意味・読み・例文・類語

ふなばし【船橋】[謡曲]

謡曲。四番目物。古曲を世阿弥が改作。万葉集などに取材。上野こうずけ国佐野にきた山伏の前に、互いに愛し合いながら親に仲を裂かれ、橋から落ちて死んだ男女の霊が現れ、死後の苦しみを述べるが、山伏の法力で成仏する。

ふなばし【船橋】[地名]

千葉県北西部、東京湾に面する市。千葉街道の宿場町、船橋大神宮門前町、漁港として発達。臨海部は京葉工業地帯の一部。人口60.9万(2010)。

せん‐きょう〔‐ケウ〕【船橋】

船の上甲板の高所にあり、航海中、船長が操船・通信などの指揮に当たる所。ブリッジ。
船を並べてつなぎ、その上に板をかけ渡して橋としたもの。ふなばし。

ふな‐ばし【船橋】

船を横に並べてつなぎ、その上に板を渡して橋としたもの。浮き橋。せんきょう。

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日本歴史地名大系 「船橋」の解説

船橋
ふなばし

鎌倉時代よりみえる地名。「吾妻鏡」文治二年(一一八六)三月一二日条の関東御知行国々内乃貢未済庄々注文に船橋御厨とあり、後白河院領であるとともに、建久期(一一九〇―九九)には香取神宮遷宮の負担を割当てられているが(「遷宮用途注進状」香取文書)、同御厨は伊勢内宮領の夏見なつみ御厨の別称であったという(神鳳鈔)。しかし夏見がやや内陸部に位置するため、船橋御厨を海辺近くに設定されていた御厨とする説がある。天台密教檀那流の「玄旨灌頂血脈伝抄」の奥書に文保元年(一三一七)下総船橋安養あんよう寺で書写したとあるが、康暦二年(一三八〇)の旦那門跡相承資(逢善寺文書)によれば船橋の右京律師澄賢が天台密教の法流継承の資格を得るため一〇〇日護摩を修し、平駄舟三艘に贈物を積んで武蔵浅草に向かって船出をしており、当地が天台檀那流の拠点の一つであったことが知られるが、この出港地は船橋浦と想定できる。

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改訂新版 世界大百科事典 「船橋」の意味・わかりやすい解説

船橋[市] (ふなばし)

千葉県北西部,東京湾に面する市。1937年市制。人口60万9040(2010)。中心市街の船橋は,船橋大神宮の門前町と佐倉・成田街道の船橋宿,および漁村が結合して発展した町である。市域にはJR総武本線,武蔵野線,京成本線,新京成線,地下鉄東西線,北総開発鉄道(現,北総鉄道)および東関東自動車道が通り,東京との交通が便利なため,近年は東京方面への通勤者の住宅地として人口が急増している。沿岸部はかつてノリと貝の養殖地であったが,埋め立てられて臨海工業地と大型港湾(京葉港)が造成され,鉄鋼,金属など工業化が進み,出荷額で県内3位(1995)の工業都市となっている。一方,内陸部は関東ロームの畑作地であり,早くから野菜生産中心の近郊農業地として首都圏内でも知られたが,近年は梨の栽培や近郊畜産も盛んになっている。

 船橋大神宮は,式内社の意富比(おおひ)/(おふひ)神社が夏見御厨(みくりや)の置かれた平安時代末期ころ再建されて大神宮と称したものである。また,船橋ヘルスセンター天然ガスを利用する浴場と各種娯楽施設をもった大遊園地で,とくに老人向けの休養宿泊地として人気があったが,1977年に閉鎖となった。JR船橋駅前には多くの大型小売店が進出し,前面の埋立地には臨海工業団地や,大型ショッピングセンター〈ららぽーと〉,スキードーム〈ザウス〉が開設され(2002年閉鎖),人気を呼んでいる。総武本線下総中山駅の北2kmに中央競馬会の中山競馬場がある。
執筆者:

佐倉・成田街道の宿場町,江戸湾に面する港町。1592年(文禄1)下総上代(かじろ)に移封になった松平家忠は,江戸に向かう途中必ずこの地を経由し,またここから船で江戸に直行しているので,すでに近世初期には宿場町・港町的性格をもっていたものとみられる。徳川家康が東金(とうがね)鷹狩のためにつくった東金街道の分岐点でもあり,将軍休泊のための船橋御殿も設けられていた。中期以後は江戸より成田山新勝寺に参詣する旅人でにぎわい,参詣客は行きか帰りに必ず宿泊したといわれる。また港としては,とくに江戸と下総を結ぶ海上交通の要地であったが,漁業も盛んで,漁業権は東西の他村の海面にも及び,漁獲物の集散の中心でもあった。
執筆者:

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「船橋」の意味・わかりやすい解説

船橋
せんきょう
bridge

操舵(そうだ)室、海図室などを集中した船の中央指揮所。ここで航海当直が行われ、操舵、主機関の操作、投揚錨(とうようびょう)、係船などあらゆる指令が発せられる。帆船の操船指揮は、舵取(かじとり)装置があり帆の状態を見るのに都合のよい船尾の甲板で行われた。蒸気機関が使われるようになって、船の中央部に現在の歩道橋のような構造物を両舷(りょうげん)にわたって取り付けて操船指揮所としたのが船橋の始まりである。現在の船橋は船の中央部最上層の甲板室にあるものが多いが、タンカー、コンテナ船ほかの専用船では船尾楼の最上層に船橋を設けている。また、発令ばかりでなくほとんどすべての機能を船橋から直接操作できる自動化船が増えている。

[森田知治]

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百科事典マイペディア 「船橋」の意味・わかりやすい解説

船橋【せんきょう】

ブリッジとも。上甲板上に玄側(げんそく)(側面)から玄側にわたって造られた上部構造物。海図,操舵装置,コンパス,船内通信設備などがあり,航海全般の指揮を行う場所である。船体中央部におくことが多いが,タンカーなどでは船尾にある。船橋下部はボートデッキ,居住区などになっている。
→関連項目エンジンテレグラフ

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歌舞伎・浄瑠璃外題よみかた辞典 「船橋」の解説

船橋
(通称)
ふなばし

歌舞伎・浄瑠璃の外題。
元の外題
けいせい佐野の船橋
初演
寛政1.12(大坂・浅尾弥太郎座)

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普及版 字通 「船橋」の読み・字形・画数・意味

【船橋】せんきよう

舟はし。

字通「船」の項目を見る

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世界大百科事典(旧版)内の船橋の言及

【日光社参】より

…1776年(安永5)家治の社参のときには供奉の大名・旗本とその家臣,上野・下野・下総・常陸・武蔵などの農村から動員された人足を含めて延べ400万人,馬30万疋,金22万両(これは幕府の年収の約7分の1にあたる)を要している。また将軍社参には日光道中栗橋宿と中田宿の間で利根川に船橋が架けられたが,8代吉宗のときはそれに2万両の費用がかかったと伝えられる。将軍社参のない年は大名による代参があり,また各大名の社参やその家臣による代参もあった。…

【橋】より

…橋幅は後の山城の淀大橋に匹敵し,落成式に臨んだ源頼朝が落馬して,それが原因で死んだという因縁のある橋で,当時を代表する橋といえよう。しかし,中世では桁橋は比較的少なく,文献に出る橋は多く浮橋すなわち船橋であり,渡河施設としてはむしろ渡舟が主だったようである。しかもそのいずれをも欠くところが多く,旅人は難渋した。…

【房川渡】より

…川水の深さは常水で9尺(約2.7m)で,1丈2,3尺になると船止めとなった。また将軍の日光社参時には船橋が架せられたが,その船数は53艘を数えたという。1885年大宮・宇都宮間に日本鉄道(現,東北本線)が開通したが,翌86年房川の鉄橋が竣工するまで鉄道の客は船渡しで中田まで運ばれた。…

※「船橋」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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