デジタル大辞泉
「至徳」の意味・読み・例文・類語
し‐とく【至徳】
この上なく立派な徳。最高の徳。また、その徳を備えた人。
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し‐とく【至徳】
[1] 〘名〙 この上ない徳。
最上の徳。しいとく。
※勝鬘経義疏(611)歎仏真実功徳章「真実者聖体円備非レ偽曰レ真。至徳凝然無レ虚曰レ実」 〔易経‐繋辞上〕
[2] 南北朝時代、北朝の後小松天皇の代の年号。永徳四年(
一三八四)二月二七日甲子
革令により
改元。南朝の後
亀山天皇元中元年(
一三八四)から同四年に至る間に当たる。
将軍は
足利義満、管領斯波義将の時代。
出典は「
孝経‐開宗明義章」の「
先王有
二至徳要道
一、以順
二天下一、
民用和睦、
上下無
レ怨」とあるのによる。至徳四年(
一三八七)八月二三日、
嘉慶(かけい)と改元。
しい‐とく【至徳】
〘名〙 「しとく(至徳)」の
慣用読み。〔文明本節用集(室町中)〕
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報
しとく【至徳】
日本の元号(年号)。室町時代(南北朝時代)の1384年から1387年まで、後小松(ごこまつ)天皇の代の北朝が使用した元号。前元号は永徳(えいとく)。次元号は嘉慶(かきょう)。1384年(永徳4)2月27日改元。1384年は甲子(かっし)の年にあたり、甲子は徳を備えた人に天命が下される革令(かくれい)の年で変乱が多いとされることから、先例にならい甲子革令を防ぐ目的で改元が行われた(革年改元)。『孝経(こうきょう)』を出典とする命名。至徳年間の南朝の天皇は後亀山(ごかめやま)天皇。南朝は、弘和(こうわ)(1381~1384年)、元中(げんちゅう)(1384~1392年)の元号を使用した。室町幕府の将軍は足利義満(よしみつ)(3代)。
出典 講談社日本の元号がわかる事典について 情報
普及版 字通
「至徳」の読み・字形・画数・意味
出典 平凡社「普及版 字通」普及版 字通について 情報