腥斎佃(読み)なまぐさいたつくり

世界大百科事典(旧版)内の腥斎佃の言及

【柄井川柳】より

…辞世は〈凩(こがらし)やあとで芽をふけ川柳〉と伝わるが疑わしい。 2世以後の川柳諸代のうち,とくに活躍したのは,〈俳風狂句の祖〉を名のった4世川柳眠亭賤丸(みんていせんがん)(1778‐1844)と,〈柳風狂句〉と改称した5世川柳腥斎佃(なまぐさいたつくり)であるが,観念的教訓的な句に落ちてしまった。【鈴木 勝忠】。…

【川柳】より

…〈役人の子はにぎにぎを能(よく)覚え〉(《柳多留》初編),〈坪皿の明くを見て行くしち使〉〈寝ごい下女車がゝりを夢のやう〉(同三編)など,政治,博奕(ばくち),好色の句が《柳多留》の再板本ではさし替えられており,自由な発想も政治的圧力に封ぜられた。さらに天保改革にあたって5世川柳の腥斎佃(なまぐさいたつくり)(1787‐1858)は〈敬神愛国,勧善懲悪〉という道徳を至上の目標に掲げるなど,初期の批判的詩精神を消失してしまった。皮肉なことに,川柳風狂句は前句付様式から独立をかちえたと同時に,そのはつらつとしたエネルギーを失ったことになる。…

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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」