脱隊騒動(読み)だったいそうどう

改訂新版 世界大百科事典 「脱隊騒動」の意味・わかりやすい解説

脱隊騒動 (だったいそうどう)

明治初年の長州藩諸隊反乱事件。長州藩の諸隊は高杉晋作が創設した奇兵隊をはじめ庶民や他藩の浪士を含む軍隊で,第2次長州征伐や戊辰戦争において幕府軍を圧倒した。そのため意気さかんであったが,新政府はこれを〈尾大の弊〉として整理解散を決意し,1869年(明治2)11月,藩は隊員の一部を常備軍に編成する一方で大半の隊員に帰郷を命じた。論功行賞の不公平,庶民出身者の不遇に対する従来の不満に加えて諸隊の解散は失業を意味し,12月に山口で諸隊の過半数が反乱をおこした。反乱軍は一時山口を占拠し,各地の農民一揆と結びついて優勢であったが,政府・藩側では木戸孝允らが直接指揮して反乱軍と交戦し,70年2月ようやく鎮圧した。洋化政策に反対したり,士族への上昇意識などの問題点はあるが,根本には維新の内戦で利用され,見捨てられていく庶民出身兵の不満があり,後年まで県民意識のなかの亀裂として記憶された。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「脱隊騒動」の意味・わかりやすい解説

脱隊騒動
だったいそうどう

1869年(明治2)の常備軍編制に端を発した、長州(山口)藩諸隊の反乱事件。69年11月長州藩は政府の兵制改革に従い、従来の諸隊を解散して新たに常備軍の編成を決定し、そのための選抜を行うこととしたが、遊撃隊の嚮導(きょうどう)3人は、藩に上官の弾劾書を提出して、私曲不正の多い上官による選抜に反対した。藩はこれを無視して選抜を行ったため、事態は険悪化して、不平兵士2000人余は山口から防府(ほうふ)方面へ脱走して反乱を起こした。またこの年は凶作で、翌70年にかけて農民一揆(いっき)が発生し、脱隊兵のなかにはこれを扇動する者もあった。70年正月に入ると、脱隊兵の一部は山口藩庁を包囲し、常備軍の解散を要求するなど事態はいっそう険悪化し、ついに藩は武力討伐を決意した。討伐軍はたまたま帰藩中の木戸孝允(たかよし)が常備軍を指揮し、豊浦(とよら)以下各支藩軍の協力を得て、小郡(おごおり)方面および防府方面で脱隊兵と激戦し、これを鎮圧した。

[吉本一雄]

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百科事典マイペディア 「脱隊騒動」の意味・わかりやすい解説

脱隊騒動【だったいそうどう】

1870年初めに奇兵隊など長州藩諸隊が起こした反乱事件。前年長州藩が諸隊を解散し洋式常備軍への編制替えに着手したが,諸隊への処遇や家禄削減などによる不満が,この兵制改革で爆発。隊員約1800人が脱走,藩内不平派や攘夷(じょうい)主義者の扇動もあり,農民一揆(いっき)と相まって騒動は3ヵ月に及んだ。帰藩した木戸孝允が武力で鎮圧。
→関連項目農兵

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