能阿弥(読み)ノウアミ

デジタル大辞泉 「能阿弥」の意味・読み・例文・類語

のうあみ【能阿弥】

[1397~1471]室町中期の画家・連歌師阿弥派の祖で、三阿弥の一人。真能とも称した。号、秀峰。将軍足利義教義政に仕えた同朋衆で、水墨画・連歌・花道・香道のほか、唐物の鑑定や屋敷飾りなどで活躍。「君台観左右帳記くんだいかんそうちょうき」の著者と伝える。作「白衣観音図」など。

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朝日日本歴史人物事典 「能阿弥」の解説

能阿弥

没年:文明3(1471)
生年:応永4(1397)
室町中期の足利将軍家の同朋。将軍に近侍して絵画制作,書画の鑑定,表装,室内装飾,連歌,香道など幅広い技芸に携わった。別名真能,号は秀峰。父を金阿弥または毎阿弥とする説があるが確証はない。永享3(1431)年に 聖衆来迎寺の六道絵の補修に当たった表具師として銘を残すのが史料のうえでの初出。その後は連歌師としての記録が多く,絵画制作に関する史料はほとんどない。連歌師宗祇によっていわゆる七賢のひとりに数えられ,北野連歌会所奉行となり,『竹林抄』『新撰【G7EDF玖波/つくば】集』にその句が収録される。自筆の私歌集として『集百句之連歌』(1469,天理図書館蔵)がある。 能阿弥筆という伝承のある水墨画の作品は数多いが,確実な作品は「白衣観音図」(1468,個人蔵),「花鳥図屏風」(1469,出光美術館蔵),「蓮図」(1471,正木美術館蔵)の3点である。これらはいずれも70歳代の作品であり,この時期に能阿弥が南宋末・元初の画家牧谿の画風に深く傾倒していたことを示す。ごく近年発見された「花鳥図屏風」は作者,制作年,贈り先までが確実に判明する稀有な作例である。また能阿弥は座敷飾 の秘伝書『君台観左右帳記』,将軍家の中国絵画コレクションの優品目録『御物御画目録』の編纂者として著名であるが,いずれも自筆本は現存しない。この両書については諸写本があり,今後の書誌学的研究が待たれる。後世,ことに茶道の世界では能阿弥の存在は神格化されたが,その実像については不明な点が多い。2子があり,1子は五山禅僧となった周健,いまひとりは家督を継いだ芸阿弥である。芸阿弥の子相阿弥までの3代を三阿弥と称し,絵画史のうえではこの3代を中心とする画派を阿弥派という。<参考文献>裏辻憲道「能阿弥私考」(『美術研究』53号),山下裕二「能阿弥序説」(『国華』1146号)

(山下裕二)

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百科事典マイペディア 「能阿弥」の意味・わかりやすい解説

能阿弥【のうあみ】

室町時代の画家,連歌師。真能とも称する。号は(春)鴎斎。足利義教から義政にかけて将軍の同朋(どうぼう)衆唐物奉行として仕え,書画,工芸品の鑑定,香道,茶の湯の実務と指導にあたった。《御物御画目録》や《君台観左右帳記》(群書類従本)を編纂(へんさん)したと伝える。絵は宋元画,特に牧谿(もっけい)を慕い,独特の作風をひらいて,阿弥派の基礎を作った。代表作に《白衣観音図》がある。連歌では七大連歌師の一人に数えられ,《竹林抄》《新撰菟玖波(つくば)集》などに載る。子に芸阿弥,孫に相阿弥がいる。
→関連項目幸阿弥家竹林抄

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改訂新版 世界大百科事典 「能阿弥」の意味・わかりやすい解説

能阿弥 (のうあみ)
生没年:1397-1471(応永4-文明3)

足利義政に仕えた同朋衆(どうぼうしゆう)の一人で,幕府関係の芸能全般に幅広く活躍した。真能ともいう。その職は子の芸阿弥,孫の相阿弥に継承され,阿弥派もしくは三阿弥の祖として知られる。連歌,香,作画に長じ,唐物の鑑定,表具,座敷飾の実務・指導を行っている。伝真能作の水墨画には真・行両体があり,応仁2年(1468)の年紀のある《白衣観音図》が基準作である。《連歌巻》(天理図書館)には能阿弥の款記(かんき)と紙継ぎ部分に〈秀峰〉印があり,真能のほかに秀峰と号した有力な手がかりとされる。ほかに〈秀峰〉印をもつ《白衣観音図》(常盤山文庫)がある。当時から連歌師としても名高く,北野会所奉行となり,宗祇(そうぎ)の七賢の一人に数えられ,彼の和歌は《竹林抄》や《新撰菟玖波(つくば)集》に採録され,個人歌集もある。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「能阿弥」の意味・わかりやすい解説

能阿弥
のうあみ

[生]応永4(1397)
[没]文明3(1471).8. 長谷
室町時代の画家,同朋衆,連歌師。姓は中尾,名は真能,通称能阿弥。足利義教,義政に仕えて書画の管理,表装,鑑定,座敷飾りなどを担当するかたわら,連歌,香道,画技にすぐれた。連歌は七賢の一人に数えられる。周文を師として水墨画を学んだと伝えられ,永享8 (1436) 年以降活躍の記録が残る。能阿弥筆の『瀟湘八景図巻』は,松雪全果が応仁2 (68) 年に入明した際にたずさえたもので,明の文人による題詩が付されている。遺品の『白衣観音図』は子の周健の剃髪を記念して描いた応仁2年の作。著書に足利義満以来の将軍家蔵画を記した『御物御絵目録』1巻がある。子の芸阿弥,孫の相阿弥も同様の活躍をし,合せて三阿弥あるいは阿弥派と呼ばれる。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「能阿弥」の解説

能阿弥
のうあみ

1397~1471

足利義教・同義政に仕えた同朋(どうぼう)衆。芸阿弥の父。相阿弥の祖父。真能(しんのう)とも称す。号は秀峰。将軍家所蔵の唐物の管理や座敷飾などを担当し,収蔵された中国絵画の目録「御物御画目録」をのこす。連歌師としても北野会所奉行となり,宗祇(そうぎ)七賢の1人に数えられ,作品が「竹林抄」「新撰菟玖波集」に収録される。香の上手であり,画を描き,絵画の表装を行うなど,多彩な活動が知られる。牧谿(もっけい)の影響を強くうけ,1469年(文明元)73歳の作品「花鳥図屏風」が代表作。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「能阿弥」の解説

能阿弥 のうあみ

1397-1471 室町時代の画家,連歌師,茶人。
応永4年生まれ。将軍足利義教(よしのり)・義政の同朋(どうぼう)衆として唐物(からもの)の鑑定にあたり,水墨画・茶道・香道・連歌にも通じた。連歌では,宗祇(そうぎ)により七賢のひとりにあげられている。子の芸阿弥,孫の相阿弥とともに三阿弥とよばれる。文明3年8月死去。75歳。姓は中尾。法名は真能。号は春鴎斎,秀峰。著作に「能阿句集」,作品に「白衣観音図」。

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旺文社日本史事典 三訂版 「能阿弥」の解説

能阿弥
のうあみ

1397〜1471
室町中期の画家。東山流茶道の祖
名は真能 (しんのう) 。足利義教 (よしのり) ・義政に仕え,幕府所蔵の書画骨董の管理をつかさどる。特に水墨画に長じ阿弥派の祖。茶道では書院飾りの法式を考案し,台子 (だいす) 飾り様式を定めた。東山流は禅宗風に小笠原流礼法を加えた貴族向き流派で,三阿弥で完成され,千利休に吸収された。また立花 (りつか) も巧みで,作庭や連歌にも活躍した。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「能阿弥」の意味・わかりやすい解説

能阿弥
のうあみ

真能

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