出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報
秋田県北西部の市。2006年3月旧能代市と二ッ井(ふたつい)町が合併して成立した。人口5万9084(2010)。
能代市西部の旧市で,米代川下流の能代平野に広がる。1940年市制,55年檜山(ひやま)町と鶴形,浅内(あさない),常盤の3村を編入。人口5万1703(2005)。古くは渟代(ぬしろ)と称し,野代とも書いたが,1694年(元禄7),1704年(宝永1)の地震を機に能代に改められたという。658年(斉明4)の阿倍比羅夫の蝦夷遠征,771年(宝亀2)の渤海(ぼつかい)国使の来港などの古い歴史を有する。近世は米代川流域で産出する米や秋田杉などの移出港であり,米代川水運の起点として商業が発展した。また羽州街道の宿場町でもあった。1900年前後から機械製材が導入され,以後米代河畔に製材・樽丸工場が増加,製材機械工業もおこり,第2次大戦前は東洋一の製材都市と称された。戦後,秋田杉はじめ国産材の枯渇により,輸入材が主となり,合板・張柾(はりまさ)製造や木材化学工業に転換した。現在も製造品出荷額の約6割(1995)は木材・家具関係工業が占める。80年,木材輸入を主とする能代港に1万5000トン岸壁が完成した。市街地は海岸砂丘列と,その間の潟湖の埋没地に形成され,河岸の材木町,その南の万(あら)町,大町などが主要部を構成する。1949年,56年の大火で市街地の大半を焼失,防火都市づくりに尽力している。羽州街道(国道7号線)と大間越(おおまごし)街道(101号線)が通り,JR奥羽本線とJR五能線が東能代駅で分岐する。秋田自動車道のインターチェンジがある。阿倍比羅夫ゆかりの能代七夕〈ねぶりながし〉,300年の伝統をもつ能代春慶塗は広く知られる。
執筆者:北条 寿
地名の初見は《日本書紀》斉明天皇4年(658)条の〈齶田(あぎた)・渟代二郡蝦夷〉の記事。室町期,津軽の安東氏の勢力が南下してこの地におよび,安東政季のころ市域の南西部にある檜山の地に霧山城を築いた。能代湊町は16世紀中期より発展し,豊臣秀吉の命による杉の巨木の上方への搬出を契機に活況を呈し,近世に入り17世紀の西廻海運の発達とともに繁栄した。この地は阿仁鉱山をはじめとする数多くの鉱山に物資を供給する基地,秋田杉の集散地にあたるため,秋田藩内では土崎とならぶ著名な港として知られ,近世を通じて発展した。
執筆者:松淵 真洲雄
能代市東部の旧町。旧山本郡所属。人口1万1155(2005)。町域は南北に細長く,中央部を米代川が西流し,川沿いにJR奥羽本線と国道7号線が通じる。秋田自動車道二ッ井白神インターチェンジがある。藤琴川,種梅川,内川が町内で米代川に注ぎ,これらの川の周辺に耕地が開ける。近世初期,秋田藩の家老梅津氏によって岩堰(いわせき)用水が開かれて以来,米代川の北岸台地に新田開発が相次いだ。また秋田杉を中心とする林業も近世以来盛んで,荷上場や仁鮒(にぶな)はその集散地として栄えた。1901年奥羽本線が開通し,二ッ井駅近くに貯木場が設けられてから,木材集散地,商業中心地として発達した。現在も秋田杉による伝統的な桶,樽の製造のほか,合板,家具,建具生産が行われている。
執筆者:佐藤 裕治
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
敵対的買収に対する防衛策のひとつ。買収対象となった企業が、重要な資産や事業部門を手放し、買収者にとっての成果を事前に減じ、魅力を失わせる方法である。侵入してきた外敵に武器や食料を与えないように、事前に...
4/12 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
4/12 デジタル大辞泉を更新
4/12 デジタル大辞泉プラスを更新
3/11 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
2/13 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新