胡漢民(読み)こかんみん

精選版 日本国語大辞典 「胡漢民」の意味・読み・例文・類語

こ‐かんみん【胡漢民】

中国政治家広東省出身日本法政大学卒業孫文の組織した中国革命同盟会加入。一九一二年孫文が南京政府の臨時大総統に就くとその秘書長となり、のち国民政府立法院長となった。(一八七九‐一九三六

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デジタル大辞泉 「胡漢民」の意味・読み・例文・類語

こ‐かんみん【胡漢民】

[1879~1936]中国の政治家。番禺ばんぐう広東省)の人。中国革命同盟会創立に参加、孫文行動をともにした。のち、南京国民政府立法院長になったが、蒋介石しょうかいせき対立。反蒋運動中に急死フー=ハンミン。

フー‐ハンミン【胡漢民】

こかんみん(胡漢民)

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「胡漢民」の意味・わかりやすい解説

胡漢民
こかんみん / フーハンミン
(1879―1936)

中国、民国期の政治家。広東(カントン)省出身。日本の法政大学卒業。1905年(明治38)、東京における中国同盟会の創立に参加し、孫文(そんぶん/スンウェン)のもとで活動した。1912年、中華民国南京(ナンキン)臨時政府成立とともに臨時大総統府秘書長、ついで広東都督となる。翌1913年第二革命に失敗し、日本に亡命。1924年国民党改組後、宣伝部長となり、孫文北上後、大元帥の職権を代行した。

 1927年蒋介石(しょうかいせき/チヤンチエシー)とともに共産党弾圧の四・一二(上海(シャンハイ))クーデターを発動、翌1928年国民政府立法院長となった。蒋介石と並ぶ国民党の重鎮であったが、蒋と意見が衝突し、1931年、彼によって南京に監禁された。九・一八事件(柳条湖(りゅうじょうこ)事件)後、監禁を解かれたが、依然として蒋介石、汪兆銘(おうちょうめい/ワンチャオミン)らの国民政府と対立し、広東にあって隠然たる敵対勢力を維持した。1935年ヨーロッパに外遊、翌1936年帰国後死去、広東で国民政府の国葬が行われた。

[安藤彦太郎]

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改訂新版 世界大百科事典 「胡漢民」の意味・わかりやすい解説

胡漢民 (こかんみん)
Hú Hàn mín
生没年:1879-1936

中国の政治家,中国国民党の最高指導者の一人。広東省出身。法政大学に留学中,孫文を知り,1905年(光緒31)中国同盟会成立とともにこれに加盟し,機関誌《民報》の主な執筆者の一人として,改良派の機関誌《新民叢報》と論戦を交えた。辛亥革命後,臨時大総統孫文のもとで総統府秘書長,のち広東都督に就任。第二革命失敗後,日本に亡命し16年帰国。19年上海で孫文らと《建設雑誌》を発行。孫文死後,国民党右派の領袖となった。27年南京国民政府主席,28年立法院長となったが,国民会議開催をめぐる意見の対立から31年蔣介石により監禁され,立法院長を罷免された。これを機に反蔣運動が高まり,胡漢民を支持する広東派は広東に国民政府を樹立したが,満州事変勃発で南北両政府は妥協し,胡漢民は釈放された。32年以後香港,広東で国民党中央執行委員会西南執行部常務委員として蔣・汪(兆銘)合作下の国民政府と対立を続けた。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「胡漢民」の意味・わかりやすい解説

胡漢民
こかんみん
Hu Han-min

[生]光緒5(1879).12.9. 広東,番禺
[没]1936.5.12. 広州
中国の政治家。日本の法政大学に留学中孫文と知合い,1905年中国革命同盟会成立とともにこれに参加し,機関誌『民報』の主要な執筆者の一人として論陣を張った。辛亥革命後,孫文の臨時大総統就任に伴い総統府秘書長となり,孫文が大総統をやめると広東都督となった。第二革命失敗後日本に亡命。 16年帰国。 19年上海で孫文と雑誌『建設』を発行,唯物史観の立場から多くの論文を執筆。孫文死後,国民党右派の領袖となり,廖仲 愷暗殺の嫌疑を受けた。 27年蒋介石らと南京国民政府に入り,28年立法院院長に就任したが,蒋介石と対立するにいたり,31年蒋に監禁され立法院院長を罷免された。これを機として反蒋運動が高まり,胡漢民を支持する広東派は広東に国府を樹立したが,満州事変の勃発で南北両政府は妥協し,胡は釈放された。 32年以後ホンコン,広東で国民党中央執行委員会西南執行部常務委員として蒋,汪合作の国府と対立を続けた。

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百科事典マイペディア 「胡漢民」の意味・わかりやすい解説

胡漢民【こかんみん】

中国,清末民国初の政治家。広東省の人。清末に日本留学。中国同盟会の機関紙《民報》で活躍し孫文の側近となる。辛亥革命後,広東都督となり,第二革命で亡命。1924年中央委員兼宣伝部長,1928年立法院長を歴任したが,蒋介石独裁に反対し,1931年監禁された。

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世界大百科事典(旧版)内の胡漢民の言及

【国民革命】より

… そもそも国民党の右派は国共合作に反対であった。右派の反共策動は25年8月,容共左派の中軸廖仲愷(りようちゆうがい)の暗殺で頂点に達したが,このときは中間派の蔣介石が左派とむすび,右派の胡漢民,許崇智(右派軍の領袖)を追放して結着がついた。翌年3月,蔣介石は中山艦事件を挑発して共産党系の武力基盤をゆるがせ,5月の二中全会に党務整理案を提出して共産党の活動制限をはかった。…

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