聴空間(読み)ちょうくうかん(英語表記)auditory spase(英),Ho¨rraum(独)

最新 心理学事典 「聴空間」の解説

ちょうくうかん
聴空間
auditory spase(英),Ho¨rraum(独)

空間とは生体が存在し,活動をする場所であると考えると,その環境に関する情報内在化したものが知覚空間であり,聴空間とは聴覚的な情報から得られた空間に関する知覚空間であるということになる。空間に対する適応的な内部表現は,その生体の活動環境や運動能力に依存して変わってくると考えるのが自然である。空間内での移動や空間内に存在する事物の知覚・認知は,各種の情報の統合を高い程度で要求される。したがって,聴覚という知覚様相に限定して空間を扱う場合には,ほかの感覚様相からの情報については,配慮していないことをつねに意識しておく必要がある。陸上生活を営む脊椎動物を前提とすると,聴覚は大気中を伝搬する振動を介して周辺に関する情報を生体に与える知覚様相である。振動の伝搬は波としての性質をもち,とくに音波sound waveとよばれる。波は障害物の陰に回り込んで進むという性質があり,これを回折diffractionという。音波の波長とわれわれの身体の大きさを比較すると,波長は身体を回折するだけの十分な長さがあるので,われわれは全方向から到来する音を感知することができる。一方,音が聞こえる範囲(音源からの距離)には,通常の状態では限界がある。観測点での強度は,エネルギー源からの距離の2乗に反比例するという物理法則が存在するからである。この法則に従えば,距離が2倍になるにつれ音響強度は6dBずつ低下する。1m前後の対人場面での声の強度レベルは約65dB SPL(音圧レベルsound pressure level)であり,静かな部屋での暗騒音レベルが40dB SPL程度であるので,話者が同じ強さで話していれば,約16m遠ざかるとその音は暗騒音レベルと変わらなくなる。軍用機ジェットエンジンの強度レベルは,30mの距離で140dBといわれているが,そのようなまさに耳を聾する爆音であっても,約4km離れれば暗騒音に紛れる勘定である。

【音像定位と音源定位】 音像定位sound image localizationとは,聴覚的な手がかりに基づいて音源の到来方向を規定する能力もしくは行為を指し,音源定位sound source localizationは音像定位によって得られた情報ならびにそれ以外の情報を統合して3次元空間内に存在する物理的音源の位置を認知・推測する能力ならびに行為を指す。ただし物理的な音源が存在しない場合でも,音像定位は起こりうる。たとえば左右2チャンネルのステレオ再生場面では,物理的な音源は二つのスピーカーであるが,体験される音像は左右の耳に到達する差に応じて左,中央,右など,収録した状況での個別の楽器や発話者の位置に対応した音像が定位される。その場合,それぞれの音像には仮想的な音源の到来方向を規定する水平角仰角さらに距離が推定される。また,両耳に入れた信号の差異に応じて,左右の耳を結ぶ直線を基準として音が右寄りか左寄りかを判断する場合もある。このとき,大半の刺激呈示はヘッドホンにより行なわれており,そのほとんどの場合音像は頭蓋内に定位される。したがって,この場合は音像頭蓋内定位sound lateralizationとよばれる。

【聴覚による空間分解能】 音の反響を抑えた無響室内などに,実音源を呈示して測定した音源到来方向の違いに対する空間分解能を見ると,水平面については正面で最もわかりやすく(±3°の分解能),正面からずれるに従って精度が低下して真横で最低となる(±10°)。正中面では前方で最も精度が良く(±9°),頭頂で最も悪くなる(±22°)。この水平面での方向を判断する手がかりは,左右の耳に到達する聴覚信号の両耳差である。これには,両耳間強度差interaural intensity difference(IID)と両耳間時間差interaural time difference(ITD)の2種類が存在する。IIDについては,強度差をdBの単位で表わした場合,両耳間レベル差interaural level difference(ILD)として参照される場合も多い。IIDをもたらす最大の要因は,頭部が作る音響的な影である。音波の波長が頭部の寸法に比べて短く,十分に回折しきれない場合には,音源の側にある耳に到達する音の強度に比べて反対側の耳へのものは強度が低下する。したがって,この低下の度合いは波長の短い高周波成分において顕著に生じるため,IIDによる音源の左右の判断は,高周波成分になるほど明瞭になる。ITDについては,左右の経路差によって生じる。経路差,音速とも波長に依存しないので,ITDはすべての周波数成分に対して同じ量だけ生じる。しかし,正弦波を前提とすると,同一の時間差がもたらす位相角の違いは高周波数ほど小さくなり,また聴覚系による位相表現の精度も周波数の上昇によって低下すると考えられるので,ITDの貢献は高周波成分ほど不明瞭になる。水平面内での方向の違いについては,耳介の影響によるスペクトル変化も手がかりとなりうることがわかっている。単独の正弦成分だけを考えた場合,両耳差はたとえば前後方向では手がかりを与えない。耳を球体(頭)に開いた二つの穴(外耳道)として単純化してしまうと,その穴を頂点にもつ円錐上の方向から到来する音については左右差が等しい。耳介の襞の影響によって音響信号は,その振幅スペクトルが変化することがわかっており,それによって到来方向の判断の精度が向上する。正中面での到来方向の違いの判断も,この耳介の影響による手がかりで行なわれる。さらに頭を動かしたことに伴うスペクトルの変化も,両耳間差だけでは多義性が解消されない場合の到来方向を判断するための有効な手がかりとなっている。条件によっては,頭を動かすことを許すが,片耳で受聴した場合の定位能力の方が,頭の運動を許さないで両耳で受聴した場合よりも優れる場合もある。

【頭部伝達関数head related transfer function(HRTF)】 実際に鼓膜に到達する音は,音源から伝搬する過程の要因によって,音源位置で観察されるものとは変わってくる。ある空間内に音源が存在した場合,その観察者である人間の鼓膜に到達する音響信号と,その人間の頭部の中心,すなわち両耳の中点にあたる位置に単独のマイクロホンを設置して記録される音響信号とのズレは,先に紹介した耳介の影響だけでなく,肩,頭,ならびに外耳道がもつ音響特性によって変化する。これらの影響を反映した線形フィルタの特性を頭部伝達関数とよぶ。多くの場合,両耳に単純な違いをもつだけの刺激をヘッドホンで聴取者に呈示するだけでは,音像が頭の内部に存在するような印象(頭蓋内定位)を形成することが知られているが,その際にHRTFを反映したフィルタを通すことによって外部へ定位させることができる。ただし,実際にはHRTFは個人ごとに異なるので,自分のもつHRTFと異なるHRTFを使用した場合には,その効果は薄れる。このように両耳間に異なる信号を呈示する場合を両耳分離聴dichotic listeningといい,両耳間にまったく同一の刺激を入れる場合を両耳同一聴diotic listeningという。ちなみに音響再生方式ならびに音響収録方式としてのモノラルmonauralは,もともとの意味は片耳への呈示を意味し,それに対して両耳に呈示する場合は,バイノーラルbinauralという。ステレオstereophonicは多チャンネルにして立体音響を作る手法全般を本来は指すが,一般的には左右2チャンネルの場合を指すことが多い。日本語では,ステレオに対して1チャンネルだけの場合もモノラルの用語を当てるが,英語ではこれはmonophonicである。

【距離の知覚】 音源との距離を推定する手がかりは,音源の性質や距離の度合いによっても変わる。音源が既知のもの,つまり音源のもつエネルギーに対する事前の知識が暗黙のうちに与えられている場合は強度の違い,つまりラウドネスの違いが手がかりとなる。また,大気中を伝搬する間に高周波数域は低周波数域に比べて減衰しやすいという物理的な性質があるので,低周波数域に対する高周波数域のバランスも距離判断をする手がかりとして,とくに音源が既知の場合は有効である。さらに音源が近くにあるほど反射音に対する直接音の強度比は大きくなるので,反射音が聴覚信号に含まれる割合も距離感に影響する。

【先行音効果precedence effect】 多くの日常環境では,われわれの耳には音源からの直接音以外に壁や床からの反射音(エコー)も到達している。両者では経路が異なるため,直接音のもつ両耳間差と反射音のそれとは異なることになる。このような場合には,定位は反射音つまり時間的に遅れて到来する音のもつ情報を無視するかのように直接音のもつ両耳間差に従う。このことを先行音効果,あるいはハース効果Hass effectという。 →聴覚
〔津﨑 実〕

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「聴空間」の意味・わかりやすい解説

聴空間
ちょうくうかん
auditory space

両耳を通して知覚できる空間のことで、音源の方向、距離を判断する音源定位sound localizationがもとになっている。

[西本武彦]

方向の知覚

方向の定位は左右の耳に到達する音のわずかな時間差と強度差を手掛りとして行われている。に示すように、聴き手正面に対して角度θの方向から音波が到来したとき、両耳間隔をl、その中点から音源までの距離をrとすれば両耳への到達距離の差dlsinθである。したがって音速をc、波長をλとすれば両耳への時間差Δt、位相差Δ、強度差ΔIは次のようになる。


 実際は頭による遮蔽(しゃへい)、回折、耳介、外耳道の長さによってさらに複雑になる。

[西本武彦]

音源の方向の弁別

音の前後方向の判断は誤りやすい。純音では3キロヘルツ以下の中・低域で、雑音では8キロヘルツ以下で誤りが多い。変化に対する弁別は正面方向がもっとも鋭く、周波数が500~700キロヘルツの純音でわずか一度の変化を弁別できる。真横近くの音源に対しては、弁別が非常に悪い。しかし日常生活においては、頭を動かして前後を確認したり、長い間の学習に基づいた判断をしているので誤りは少ない。

[西本武彦]

時間と強さの交互作用

ステレオヘッドホンで音を聴くと、後頭部周辺あるいは頭内に音像が生じる。これを音像定位lateralizationという。両耳の音に時間差や強度差を与えると音像が移動するが、時間差によって偏った音像でも反対側の耳に与える音のレベルをあげるとふたたび音像が中央に移動する。こうした両耳間の時間差と両耳間のレベル差の相互作用を、時間と強さの交互作用time-intensity tradingという。

[西本武彦]

ステレオ効果

ステレオ再生では左右別々のスピーカーの音は一つに融合し、中間位置に虚の音像を形成する。二つのスピーカー音の間に1~30ミリ秒の差をつけたとき、早く耳に到達する音を出しているスピーカーに音像が結ぶ現象をハース効果Haas effectという。

[西本武彦]

両耳ビート

binaural beat周波数の接近した二つの純音を同時に聴くとビート(うなり)が生じる。1500ヘルツ以上の純音ではビート音は聴こえず、500ヘルツ以下ではよく聴こえる。

[西本武彦]

カクテル・パーティー効果

大ぜいの人の声のなかでも、注意を向けた相手の話は聴き取れる。これは両耳効果というより、われわれがもつ高度のパターン認識の働きである。

[西本武彦]

音の距離知覚

音源の距離判断は、音の大きさ、周波数とスペクトルによる音質の変化、直接音と残響音の比、さらに両耳間のレベル差・時間差などを総合した経験的知識がもとになっている。なお、会話音声の距離判断は正確であるが、ささやき声や叫び声はそれぞれ過小評価、過大評価される。また、正面方向の距離判断は悪い。

[西本武彦]

『境久雄他著『聴覚と音響心理』(日本音響学会編『音響工学講座6』所収・1978・コロナ社)』


出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「聴空間」の意味・わかりやすい解説

聴空間
ちょうくうかん
auditory space

聴覚を通して行われる方向や距離などの弁別,認知 (すなわち,音定位) に基づいて成立した空間。空間知覚に対する聴覚の役割は,視覚健常者においては視覚ほど大きくないが,先天的な視覚障害者の場合には,健常者には聞えない小さな音でも知覚できるくらい聴空間の範囲が広く,より緻密になる。

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