耶馬渓(読み)やばけい

精選版 日本国語大辞典 「耶馬渓」の意味・読み・例文・類語

やば‐けい【耶馬渓】

大分県北西部にある峡谷。山国川溶岩台地をきざみ、岩石美・森林美・渓流美を備える。本耶馬渓深耶馬渓裏耶馬渓奥耶馬渓などに分かれる。耶馬日田英彦山(やばひたひこさん)国定公園の一中心

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デジタル大辞泉 「耶馬渓」の意味・読み・例文・類語

やば‐けい【耶馬渓】

大分県中津市を流れる山国やまくにの渓谷。溶岩台地を浸食した奇岩秀峰の景勝地。本耶馬渓は青ノ洞門付近から柿坂付近までをいい、上流の奥耶馬渓、支流の羅漢寺渓・深耶馬渓・裏耶馬渓なども含めていう。頼山陽の命名。

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日本歴史地名大系 「耶馬渓」の解説

耶馬渓
やばけい

県北西部、山国やまくに流域一帯の景勝地をさした呼称で、大正一二年(一九二三)国指定名勝となった。その後昭和一一年(一九三六)に一部地域が追加指定され、現在その範囲は中津市、下毛郡本耶馬渓ほんやばけい町・耶馬渓町・山国町三光さんこう村、日田市、玖珠くす郡玖珠町・九重ここのえ町、宇佐市、宇佐郡院内いんない町・安心院あじむ町の三市七町一村に及ぶ。地質・地形の特色は多くの溶岩層の重なりで形成された広大な溶岩台地を、山国川・玖珠川とその多くの支流および駅館やつかん川水系の恵良えら川・津房つぶさ川などの諸河川が浸食してつくった溶岩台地削剥地形が随所に展開していることである。

台地の基盤となるのは変朽安山岩(宇佐層群とよばれ、金鉱を含む。山国町草本の旭金山は著名)と、これを不整合に覆う瀬戸内系とみられる古銅輝石安山岩からなる溶岩丹頂丘(木ノ子岳・鹿熊岳などに代表される)で、さらにこれらを耶馬渓層が覆う。場所によって後期更新世に噴出した耶馬渓溶岩と複輝石安山岩溶岩がそれぞれ上層・最上層を形成している。耶馬渓層は角礫凝灰岩からなり、選択浸食されやすいため急崖・奇峰・石門などの地形をつくるのに対し、耶馬渓溶岩層は縦に長い柱状節理が発達し、大きな岩柱が林立する風景をつくり出す。

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改訂新版 世界大百科事典 「耶馬渓」の意味・わかりやすい解説

耶馬渓 (やばけい)

大分県北西部,山国川の中・上流域一帯の渓谷。この地域は,形成の時期を異にする豊肥火山活動期の溶岩(耶馬渓溶岩)が幾重にも堆積した日本最大の溶岩台地であり,これを山国川の本・支流が深く浸食して,独特な地形を展開している。山国川本・流筋は本耶馬渓と呼ばれ,凝灰角レキ岩からなる耶馬渓層が卓越する。浸食によって急崖,岩柱,奇峰,石門などの見られる旧耶馬渓式風景を作り出している。青ノ洞門の見られる名勝競秀峰(きようしゆうほう)はその代表的なもので,他にも賢女ヶ岳(けんによがたけ),朝天峰,七仙巌(しちせんがん)などがある。また名刹羅漢寺のある跡田川の谷は羅漢寺耶馬渓といわれる。

 一方,支流山移(やまうつり)川の上流域一帯を深(新)耶馬渓,金吉川上流域一帯を裏耶馬渓と称するが,これらの地域には太い縦の柱状節理をもった新耶馬渓溶岩が卓越し,その浸食が作られ岩柱の林立する風景が見られる。一目(ひとめ)八景や立羽田(たちはだ)の景などの名勝が代表的なものである。本耶馬渓奥の守実(もりざね)温泉の上流部は奥耶馬渓と呼ばれ,猿飛の欧穴(おおけつ)群(天)などの名勝があるが,交通不便なため開発が進んでいない。また,両輝石安山岩からなる硬い溶岩層で覆われたところでは,日本では他に例がないほど数多くのメーサビュートが見られ,メーサの大岩扇(だいがんせん)山(691m)やビュートの鷹巣山(979m)はともに天然記念物に指定されている。植物の種類も多く変化に富んでおり,犬ヶ岳ツクシシャクナゲ自生地(天),本耶馬渓のシシツツジ自生南限群落,檜原(ひばる)山の千本カツラ,戸原のイチイガシなどがある。耶馬渓は,頼山陽の詩文によって知られるようになり,1950年に耶馬日田英彦山国定公園の指定を受けた。秋の紅葉はとくにすばらしく,多くの観光客が訪れる。
執筆者:

耶馬渓(旧町) (やばけい)

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百科事典マイペディア 「耶馬渓」の意味・わかりやすい解説

耶馬渓【やばけい】

大分県北西部に広がる日本最大の溶岩台地(名勝)。東西36km,南北32km。第三紀末の耶馬渓火山の活動で噴出した変朽安山岩の上に集塊岩が堆積したもので,山国川などの諸河川による浸食で多くのメーサやビュートが形成され,山国川本流の本耶馬渓をはじめ奥耶馬渓,深耶馬渓,裏耶馬渓,津民渓など奇岩や絶壁の渓谷が各所にみられる。耶馬日田英彦山国定公園に属し,青ノ洞門,猿飛甌穴(おうけつ)群(天然記念物)もあり,紅葉は特に美しい。古くは山国渓とよばれていたが,1818年頼山陽が当地を訪ねて耶馬渓と詠じてからこの呼称が始まったという。観光基地は山国町,耶馬渓町(両町とも現・中津市)など。
→関連項目中津[市]本耶馬渓[町]耶馬渓[町]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「耶馬渓」の意味・わかりやすい解説

耶馬渓
やばけい

大分県北西部,日本最大の溶岩台地山国川などに浸食されてできた峡谷。国指定名勝。溶岩台地は新第三紀末耶馬渓火山の活動による変朽安山岩の上に集塊岩層を厚く堆積し,その後,性質を異にする新耶馬渓溶岩の流入で東部に大規模な台地を形成。さらに,阿蘇溶岩がその上を薄く覆う。山国川の本流および支流は直立する節理と,もろく不均質な層理に沿って浸食し,雄大な渓谷美と奇岩怪石の連なる岩石美をつくりだし,アカマツ広葉樹の林とよく調和している。頼山陽によって世に紹介され,1950年日田盆地や英彦山とともに耶馬日田英彦山国定公園に指定された。競秀峰山腹の青ノ洞門は特に有名。本耶馬渓(山国川中流),深耶馬渓(山移川),裏耶馬渓(金吉川)などがある。

耶馬渓
やばけい

大分県北西部,中津市中部の旧町域。山国川の中流域にある。 1965年町制。 2005年中津市に編入。大部分山地で,そのなかに山国川とその支流が形成した狭い平地がある。産業の中心は農林業で,米作,チャ (茶) の栽培,畜産が行なわれる。国の名勝耶馬渓の中心地の一つで,古くから観光地として知られ,ほぼ全域が耶馬日田英彦山国定公園に属する。犬ヶ岳のツクシシャクナゲは国の天然記念物。

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事典・日本の観光資源 「耶馬渓」の解説

耶馬渓

(大分県中津市)
新日本三景」指定の観光名所。

耶馬渓

(大分県中津市)
日本百景」指定の観光名所。

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世界大百科事典(旧版)内の耶馬渓の言及

【青ノ洞門】より

…大分県北部,下毛郡本耶馬渓町大字曾木字青にある耶馬渓の名勝の一つで,競秀峰崖下にある洞穴道。18世紀中ごろ僧禅海が〈鎧渡し〉と呼ばれていた難所に独力でつくったもので,このことは菊池寛の小説《恩讐(おんしゆう)の彼方に》(1919)によって広く知られた。…

【大分[県]】より

…長崎三角帯にあたる北部は新旧の火山活動による溶岩類が累積して形成されたところで,次の三つに大別できる。(1)阿蘇火山の外輪山とその火砕流の堆積した大野川流域,(2)豊肥火山活動による広大な溶岩台地が形成され,のち浸食されて溶岩台地削剝地形(メーサ,ビュート)の展開する日田,玖珠から耶馬渓地方,(3)両者の間に展開する山陰系の火山である両子(ふたご)山,文珠山(ともに国東(くにさき)半島),鶴見岳,由布岳,九重山などのある地帯。このように大分県の地形は,山地や高原が広く,これらを四周から筑後川の上流,大野川,大分川,山国川などの河川が浸食して,複雑な地形区をなしている。…

【豊前国】より

…豊前国は九州の玄関口に当たっていたので小倉,田野浦(門司)は九州と上方を結ぶ瀬戸内海航路の船の発着場となり,多くの貨物が出入りし,参勤交代の大名や商人,文人が往来した。陸上交通では小倉を起点として長崎街道,豊後街道が通じるほか,小倉から香春,後藤寺,猪膝を経て筑前南部や豊後日田に通ずる街道,中津から耶馬渓を経て日田に至る街道,行事と田川を結ぶ街道などがあった。耶馬渓には僧禅海が30年の歳月をかけて完成した青ノ洞門がある。…

※「耶馬渓」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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