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旧中国の宮廷学芸機関で、「ふで(翰)のはやし(林)の官庁」の意。唐の玄宗の開元(かいげん)年間(713~741)に宮中に創置され、文人を出仕させたのに始まる。安史(あんし)の乱後、天子の詔勅の執筆に携わったところから政治的発言権が強まり、長官の学士承旨は内相とよばれ、中・晩唐にかけて権力の一中心となり、李肇(りちょう)の『翰林志』以下の記録もつくられた。また院には書、画、音楽から囲碁などに及ぶ諸芸に秀でた人材を抱える伎術(ぎじゅつ)院を付設し、ここは宮廷文化センターの観を呈した。宋(そう)・元以降になると、日常の詔書作成にあたったが、政治の機密からは離れ、文化的栄誉機関の性格が強まり、明(みん)・清(しん)に至るまで国史の編纂(へんさん)や帝王の著作編纂事業を多く担当し、図書や文物の集蔵に努めた。とくに宋の画院(翰林図画院)は名手を集め、時代の代表的画風を生み出し、院体とよばれた。近代ではこの語をヨーロッパの「アカデミー」の訳語にあてている。
[池田 温]
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…画院とは翰林図画院(かんりんとがいん)の略称で,ここには天子の私的な需要に応じたり,宮廷や官衙の障壁画や装飾に携わる画家がいた。唐の玄宗の開元26年(738)に翰林院が設けられ,工芸書画の徒がいて,待詔とか内供奉と呼ばれたが,張彦遠の《歴代名画記》には画院の名がみえ,また史館画直,集賢画直,少府監,尚方などの職名をもつ画家が挙げられているから,翰林院にのみ画工がいたわけではなく,集賢院などに所属するものもあったらしい。翰林院の先例とおぼしきものはすでに前漢にあり,黄門と呼ばれて,そこには一芸に秀でた職人たちが待詔として採用されていた。…
※「翰林院」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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