翰林待詔(読み)かんりんたいしょう

世界大百科事典(旧版)内の翰林待詔の言及

【翰林学士】より

…その宮中における出仕の館,翰林学士院は略して翰林院,また学士院と称せられ,雅名を翰苑という。翰林学士は初め,書画医卜などの専門家と共に宮中に召され,翰林待詔と呼ばれたが,玄宗の開元26年(738)独立して学士と称せられるようになった。文学の士は天子の詔勅を起草すると同時に,政治上の諮問にあずかるので,天子もまたその選任に意を用い,天下の名士を登用し,自然に上下の尊崇を受けるようになったからである。…

※「翰林待詔」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」