羽生結弦(読み)ハニュウユヅル

デジタル大辞泉 「羽生結弦」の意味・読み・例文・類語

はにゅう‐ゆづる〔はにふ‐〕【羽生結弦】

[1994~ ]フィギュアスケート選手。宮城の生まれ。平成26年(2014)のソチオリンピックと平成30年(2018)の平昌ピョンチャンオリンピックを連覇。平成27年(2015)には、初の300点超えとなる世界歴代最高得点を記録した。国民栄誉賞受賞。

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知恵蔵 「羽生結弦」の解説

羽生結弦

日本のフィギュアスケート選手。日本スケート連盟特別強化選手。宮城県仙台市出身、1994年12月7日生まれ。身長171センチメートル、血液型B型。宮城FSCを経て2013年7月1日よりANA所属。東北高等学校を卒業し、早稲田大学人間科学部通信教育課程に在学中。
先にフィギュアスケート教室に通っていた姉の影響で、4歳からスケートを始める。尊敬する選手は、米国ジョニー・ウィアーロシアのエフゲニー・プルシェンコとアレクセイ・ヤグディン、同郷出身の荒川静香。ジョニー・ウィアーは後に、羽生の衣装をデザインしている。
08~09シーズンの全日本フィギュアスケートジュニア選手権大会優勝。09~10シーズンのISUジュニアグランプリファイナルと全日本フィギュアスケートジュニア選手権大会、世界ジュニアフィギュアスケート選手権大会でも優勝をおさめる。10~11シーズンにシニアデビューし、ISUグランプリNHK杯国際フィギュアスケート競技大会(日本大会)4位、全日本フィギュアスケート選手権大会でも4位と健闘する。11年3月11日、仙台市内のリンクで練習中に発生した東日本大震災で被災。仙台市内の自宅と練習拠点を失い、当初は家族4人で避難所生活を余儀なくされて、スケートを続けることを悩んだ時期もあったが、日本各地のアイスショーに参加しながら、4回転ジャンプ精度を磨いた。翌11~12シーズンにはISUグランプリロステレコムカップ(カップオブロシア)(ロシア大会)で優勝。全日本フィギュアスケート選手権大会では3位に入り、世界フィギュアスケート選手権大会への出場を果たして銅メダルを獲得し、世界のトップ選手に仲間入りした。12年春、カナダトロントに練習と生活の拠点を移し、ブライアン・オーサーとトレイシー・ウィルソンに師事する。オーサーは1984年と88年の五輪銀メダリストである。
12年11月、被災地の故郷、宮城県利府町で開催されたISUグランプリNHK杯国際フィギュアスケート競技大会(日本大会)において、ショートプログラム(SP)、フリースケーティング(FS)とも1位で優勝。12~13シーズンは、SPでISU認定歴代最高得点を2度更新した。
13~14シーズンは、ISUグランプリスケートカナダ(カナダ大会)とISUグランプリトロフィーボンパール(フランス大会)で共にパトリック・チャンに敗れて2位となったが、福岡で開催されたISUグランプリファイナルでは、SPで世界歴代最高の99.84点、FSで世界歴代第2位の193.41点と、自己ベストを大幅に更新する世界歴代2位の総合293.25点という高得点を出して初制覇。全日本フィギュアスケート選手権大会も優勝し、ソチオリンピック代表に選出された。今季のテーマ曲は、SPは前シーズンに続いて「パリの散歩道」(振付:ジェフリー・バトル)、FSはニーノ・ロータの映画「ロミオとジュリエット」より(振付:デビッド・ウィルソン)。FSで2種類の4回転ジャンプに挑む。震災直後の11~12シーズンのFSでもクレイグ・アームストロング作曲の「ロミオ+ジュリエット」を使用して世界選手権の成果を上げており、羽生自身の希望により五輪に向けた4年間の集大成としてこの曲を選んだ。著書には『蒼い炎』がある。印税は全て、被災したアイスリンク仙台へ寄付される。

(葛西奈津子  フリーランスライター / 2014年)

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「羽生結弦」の意味・わかりやすい解説

羽生結弦
はにゅうゆづる

[生]1994.12.7. 宮城,仙台
フィギュアスケート選手。4歳でアイススケートを始め,2009年の ISUジュニアグランプリファイナル優勝などで脚光を浴びた。シニア転向後の 2011年3月,東北地方太平洋沖地震で被災し避難所生活を経験したが,細身でしなやかな体が繰り出す安定した回転軸のジャンプを武器に躍進を続けた。2013年12月 ISUグランプリファイナルを初制覇。2014年2月のソチ・オリンピック冬季競技大会では,ショートプログラムで当時の世界歴代最高得点を出し,金メダルを獲得。同 2014年3月の世界選手権も優勝した。2014年11月,練習中に中国の選手と衝突する事故にあい,その後も腹部を手術するなど,けがや病気に見舞われたが,以降も世界歴代最高得点を次々と塗り替えた。2015年12月の ISUグランプリファイナルは,2018年のルール改正前の歴代最高となる合計 330.43点で 3連覇。2016年には史上初の 4回転ループを成功させ,ISUグランプリファイナル 4連覇。2017年3~4月の世界選手権も制覇した。2017年11月に右足首靭帯を損傷したが,2018年2月の平昌オリンピック冬季競技大会は,けがを乗り越えて金メダルを手にした。フィギュアスケート男子シングルでの五輪 2連覇は 1948年サンモリッツ・オリンピック冬季競技大会,1952年オスロ・オリンピック冬季競技大会を制したアメリカ合衆国のディック・バトン以来,66年ぶりの快挙。2018年国民栄誉賞受賞。

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知恵蔵mini 「羽生結弦」の解説

羽生結弦

日本のフィギュアスケート選手(男子シングル)。1994年12月7日生まれ、宮城県仙台市出身、171センチ、53キロ。仙台市立七北田中学校卒業、東北高等学校在学中(2012年現在)。4歳でスケートを始める。中学1年時、ジュニアより下のクラス「ノービス」の選手ながら全日本ジュニア選手権で3位となる。ノービスの選手が全日本ジュニア選手権で3位になるのは日本男子史上初である。08~09シーズンは、全日本ジュニア選手権初優勝のほか、世界ジュニア選手権で大会最年少にして12位などの好成績を残し、10年には、日本人男子4人目の世界ジュニア選手権優勝者となった。11年、シニア階級に入り「四大陸フィギュアスケート選手権」で銀メダルを獲得、同選手権での男子選手史上最年少のメダリスとなる。同年「ネーベルホルン杯」でシニアクラス国際大会での初優勝を果たす。12年「世界フィギュアスケート選手権」では初出場3位となり、17歳3カ月での同選手権メダル獲得は日本男子として最年少記録となった。同年の「スケートアメリカ」では、ショートプログラムで世界歴代最高の95.07点を記録した(総合2位)。

(2012-10-23)

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「羽生結弦」の解説

羽生結弦 はにゅう-ゆづる

1994- 平成時代のフィギュアスケート選手。
平成6年12月7日生まれ。4歳でスケートをはじめる。平成20年全日本ジュニア選手権優勝,全日本選手権8位。22年世界ジュニア選手権優勝。同年NHK杯4位,全日本選手権4位。23年四大陸選手権2位,全日本選手権3位,24年世界選手権で3位。同年全日本選手権で初優勝。25年東北高を卒業し,早大に進学。同年全日本選手権を連覇し,26年のソチ五輪代表となり,シュートプログラムで公式大会世界最高得点101.45点をあげ,フリーでも高い技術点をあげて日本男子初の金メダルを獲得。団体でも5位入賞。同年世界選手権(さいたま市大会)で初優勝。26年グランプリファイナルを2連覇。宮城県出身。

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