羽仁五郎(読み)はにごろう

精選版 日本国語大辞典 「羽仁五郎」の意味・読み・例文・類語

はに‐ごろう【羽仁五郎】

歴史学者。群馬県出身。羽仁もと子の娘婿。旧姓、森。野呂栄太郎らと「日本資本主義発達史講座」の刊行に参加、唯物史観立場から明治維新史を執筆。第二次世界大戦後は参議院議員。また、広く文明批評家として活躍著書に「ミケルアンヂェロ」「都市の論理」など。明治三四~昭和五八年(一九〇一‐八三

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デジタル大辞泉 「羽仁五郎」の意味・読み・例文・類語

はに‐ごろう〔‐ゴラウ〕【羽仁五郎】

[1901~1983]歴史学者。群馬の生まれ。旧姓、森。羽仁もと子の娘婿。唯物史観の立場から明治維新を研究。野呂栄太郎らと「日本資本主義発達史講座」の刊行に参加・執筆。第二次大戦後は広く文明批評家として活躍。参議院議員。著「ミケルアンヂェロ」「都市の論理」など。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「羽仁五郎」の意味・わかりやすい解説

羽仁五郎
はにごろう
(1901―1983)

歴史学者。明治34年3月29日、群馬県桐生(きりゅう)市の織物業者森宗作の五男として生まれる。1921年(大正10)東京帝国大学法学部に入学するが3か月で中退。翌22年、リッケルトの歴史哲学を学ぶためにドイツハイデルベルク大学に留学し、24年に帰国して東京帝国大学文学部国史学科に再入学した。26年に羽仁説子(せつこ)と結婚、羽仁の姓を名のる。27年(昭和2)に大学を卒業し、翌年三木清とともに『新興科学の旗のもとに』誌を創刊、29年にはプロレタリア科学研究所創立に参加し、マルクス主義歴史理論の建設に努める。『転形期の歴史学』(1929)、『歴史学批判序説』(1932)などの論集はその努力の結実したもので、こうして羽仁はわが国で初めて唯物史観を基礎とするマルクス主義歴史理論体系を樹立したのである。

 1932年5月から刊行された『日本資本主義発達史講座』には、明治維新にかかわる多数の論文を執筆、同時に『史学雑誌』にも「東洋における資本主義の形成」(1932)を発表した。これらの仕事のなかで羽仁は明治維新の世界史的位置づけを行い、その原動力が農民や町人の闘いにあること、明治維新の本質民主主義革命の未完成にあり、それゆえに専制的な天皇制が成立したことを、豊富な根本史料を駆使しながら明らかにした。これはその後の維新史研究に強い影響を与えており、その史学史的意義は大きい。33年9月に治安維持法違反容疑で逮捕されるが、12月に出獄し、それ以後も「明治維新」(1935)、『ミケルアンヂェロ』『クロオチェ』(ともに1939)などを執筆し、反戦・反ファシズムの立場から思想的抵抗を繰り広げた。しかし45年3月には北京(ペキン)でふたたび逮捕され、敗戦後の9月に自由を回復した。

 戦後は文明批評家、社会運動家としても多面的な活動を展開した。1947年(昭和22)の第1回参議院議員選挙では全国区から無所属で立候補して当選、56年まで同議員を務め、国立国会図書館の創設などに尽力した。また49年から51年まで学術会議会員として、「学問思想の自由の保障の委員会」の委員長を務めた。なお60年代末の大学紛争時に刊行した『都市の論理』(1968)は、学生たちに大きな影響を与えた。昭和58年6月8日死去。

[山田敬男]

『『羽仁五郎歴史論著作集』全四巻(1967・青木書店)』『羽仁五郎著『自伝的戦後史』(1976・講談社)』

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改訂新版 世界大百科事典 「羽仁五郎」の意味・わかりやすい解説

羽仁五郎 (はにごろう)
生没年:1901-83(明治34-昭和58)

歴史家。群馬県桐生の素封家に生まれる。1921年東京帝国大学法学部を中退し渡欧,ハイデルベルク大学でH.リッケルトに歴史哲学を学んだ。24年帰国,東大史学科に再入学,26年羽仁説子と結婚し,森から羽仁姓に改姓する。27年《佐藤信淵の基礎的研究》を書いて卒業。東大史料編纂所嘱託を経て,日大教授となり,史学科を創設。28年三木清と雑誌《新興科学の旗の下に》創刊,29年プロレタリア科学研究所の創設に参加。32-33年《日本資本主義発達史講座》の刊行に野呂栄太郎を助けて尽力。治安維持法違反に問われ33年,45年の2度にわたり検挙される。この間反ファシズムの立場から,《ミケルアンヂェロ》(1939)はじめ,多くの著作を発表,感銘を与えた。戦後は参議院議員として国会図書館の建設などに努めた。彼の超歴史的な普遍的存在としての〈人民〉の観念は羽仁史学として,知識人,学生に大きな影響を与えた。戦後の著書には《明治維新史研究》(1956),《都市の論理》(1968),《羽仁五郎歴史論著作集》(全4巻)などがある。
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百科事典マイペディア 「羽仁五郎」の意味・わかりやすい解説

羽仁五郎【はにごろう】

歴史学者。旧姓森。群馬県生れ。東大卒,ハイデルベルク大でH.リッケルトに学ぶ。1926年に羽仁説子と結婚。1928年日大教授となり,三木清とマルクス主義理論雑誌《新興科学の旗の下に》を創刊,1929年プロレタリア科学研究所の創設に参加するなど,反ファシズムの立場をとり,1933年,1945年の2度にわたって検挙される。1947年―1956年に参議院議員。《転形期の歴史学》(1929年),《歴史学批判序説》(1932年),《ミケルアンヂェロ》(1939年),《明治維新史研究》(1956年),《都市の論理》(1968年)などの著作で大きな影響を与え,《日本資本主義発達史講座》にも関わった。《羽仁五郎歴史論著作集》全4巻がある。
→関連項目羽仁進

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「羽仁五郎」の解説

羽仁五郎 はに-ごろう

1901-1983 昭和時代の歴史学者。
明治34年3月29日生まれ。社会運動家・羽仁説子の夫。子に映画監督・羽仁進,わらべうた教育研究家・羽仁協子。東京帝大史料編纂(へんさん)掛をへて,昭和3年日大教授となる。三木清らとプロレタリア科学研究所をつくり,反ファシズムの姿勢をつらぬく。戦後,参議院議員となり国立国会図書館の創設などにつくす。昭和58年6月8日死去。82歳。群馬県出身。東京帝大卒。旧姓は森。著作に「明治維新史研究」「都市の論理」など。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「羽仁五郎」の解説

羽仁五郎
はにごろう

1901.3.29~83.6.8

昭和期の歴史家。群馬県出身。旧姓森。羽仁説子と結婚。東大卒。ドイツのハイデルベルク大学に学ぶ。野呂栄太郎らと「日本資本主義発達史講座」の刊行に参画。人民史観に立った論文を執筆。日本大学教授となったが治安維持法違反で検挙され辞任。第2次大戦後は参議院議員・日本学術会議議員。大学紛争で全共闘系学生を支援するなど,新左翼の革命理論家として知られた。著書「明治維新史研究」「都市の論理」。

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世界大百科事典(旧版)内の羽仁五郎の言及

【ウマ(馬)】より

…駄載の場合は常歩の労役で体重の1/3くらいとされている。(2)馬肉 さくら肉とも呼ばれ,暗赤色で脂肪が少なく結締織が多い。グリコーゲンの含量が高く甘みが強い。…

※「羽仁五郎」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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