羅漢寺(読み)らかんじ

精選版 日本国語大辞典 「羅漢寺」の意味・読み・例文・類語

らかん‐じ【羅漢寺】

[一] 大分県中津市本耶馬渓町跡田にある曹洞宗の寺。山号は耆闍崛山(ぎじゃくつせん)。暦応元年(一三三八円龕昭覚(えんがんしょうがく)インドの耆闍崛山に擬して開創、十六羅漢像を安置して智剛寺と称した。延文四年(一三五九)中国僧逆流建順が境内の岩窟内に五百羅漢などの石像を刻み安置し、現名に改称。耶馬渓中核の地で頼山陽など、文人墨客が多数来訪。
[二] 東京都江東区大島にある曹洞宗の寺。明治三八年(一九〇五黄檗宗の天恩山五百大阿羅漢寺の跡地に創建。
[三] 東京都江東区大島の羅漢寺の地にあった黄檗宗の寺、天恩山五百大阿羅漢寺の俗称。寺内にあった三匝堂(さんそうどう)は、通称栄螺(さざえ・さざい)堂と呼ばれ有名であった。現在、その跡に(二)の本堂がある。
洒落本・当世繁栄通宝(1781)「らかんじに螺堂たかく、百ばんの札所をひらいて順礼ゑんろほこふの足をやすめ」

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デジタル大辞泉 「羅漢寺」の意味・読み・例文・類語

らかん‐じ【羅漢寺】

大分県中津市にある曹洞宗の寺。山号は、耆闍崛山ぎじゃくっせん。延元3=暦応元年(1338)円龕昭覚えんがんしょうがくがインドの耆闍崛山になぞらえて建立、智剛寺と称した。のち、中国僧逆流建順げきりゅうけんじゅんが来山、十六羅漢五百羅漢四天王など七百余体の石像を刻み、現寺名に改称。

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日本歴史地名大系 「羅漢寺」の解説

羅漢寺
らかんじ

[現在地名]本耶馬渓町跡田

跡田あとだの東の山腹にあり、耆闍崛山と号し、曹洞宗。本尊は釈迦如来。縁起によれば、大化元年(六四五)頃、法道がインドより渡来し、この地の洞窟で修行したと伝える。延文五年(一三六〇)僧照覚が住していたが、僧建順が来てともに五百羅漢を彫ったという。足利義満が羅漢寺の寺号を与え、寺領二〇〇町を寄付、慶長五年(一六〇〇)臨済宗から曹洞宗へ改宗したという。しかし現在の五百羅漢像は江戸時代以降の作と思われる。享徳四年(一四五五)五月三日の慈済寺領坪付(金光文書)に「羅漢智剛寺末寺慈済寺領坪付」とある。慈済じさい寺は応永一一年(一四〇四)一二月七日の有籠会加用次第案(同文書)にも確認される。

羅漢寺
らかんじ

[現在地名]敷島町吉沢

あら川の右岸羅漢寺山の南東中腹にある。天台山と号し、本尊は阿弥陀如来。曹洞宗。慶応四年(一八六八)の書上(寺記)によれば、開山は俊屋桂彦だが年代は不明。開基は天台座主有金。往古は北山きたやま筋の高野こうや山と称し、真言宗だった。「甲斐国志」によると大永年間(一五二一―二八)広厳こうごん(現一宮町)四世俊屋が中興し、曹洞宗となる。武田信玄は当寺に対し山中に田畑がないので夏・秋に北山筋の村々に托鉢することを許し、八合と五合の二種類の頭陀升を与えたという。近世には中山広厳院の末。黒印高は七三〇坪。山を三岳といい、一岳に阿弥陀如来、二岳に釈迦如来、三岳に薬師如来が祀られていた。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「羅漢寺」の意味・わかりやすい解説

羅漢寺
らかんじ

大分県中津(なかつ)市本耶馬渓町(ほんやばけいまち)跡田(あとだ)にある曹洞(そうとう)宗の寺。山号は耆闍崛山(ぎじゃくっせん)。羅漢石仏を祀(まつ)る。1338年(延元3・暦応1)円龕昭覚(えんがんしょうがく)がこの地の巨大な岩窟(がんくつ)のある勝景を見て、インドの耆闍崛山(霊鷲山(りょうじゅせん))になぞらえ智剛寺を開創、十六羅漢の画像を安置したのに始まる。1359年(正平14・延文4)中国僧逆流建順(げきりゅうけんじゅん)も来山し、ともに釈迦(しゃか)、文殊(もんじゅ)、普賢(ふげん)、十大弟子、十六羅漢、五百羅漢、四天王など石像700余体をつくり、耆闍崛山羅漢寺と改称した。のち細川頼之(よりゆき)が黄金舎利塔(しゃりとう)・水精(すいしょう)舎利塔を寄進し、ついで絶海中津(ぜっかいちゅうしん)が来遊してその塔銘をつくった。慶長(けいちょう)年間(1596~1615)には伝宿(でんしゅく)が大岩石の下に千体地蔵を彫り、また付近には寛保(かんぽう)年間(1741~44)に禅海(ぜんかい)が30年を費やして開削した青(あお)ノ洞門(どうもん)がある。寺域一帯は風光明媚(めいび)で知られる。

[平井俊榮]


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改訂新版 世界大百科事典 「羅漢寺」の意味・わかりやすい解説

羅漢寺 (らかんじ)

大分県中津市の旧本耶馬渓町にある曹洞宗の寺。山号は耆闍崛山(ぎしやくつせん)。暦応年中(1338-42)栄西5世の法孫円龕昭覚(えんがんしようがく)がインドの耆闍崛山(霊鷲山)になぞらえて開創した智剛寺にはじまる。1359年(正平14・延文4)中国僧逆流建順が来山。協力して堂舎を営み,五百羅漢などの石像を刻して安置し,耆闍崛山羅漢寺と号した。1600年(慶長5)鉄村玄策が大寧(たいねい)寺(現,山口県長門市)から移り,曹洞宗に改宗。1943年に焼失したが,69年に再建された。五百羅漢は無漏窟の中にあり,喜怒哀楽の豊かな表情を呈している。付近には青ノ洞門で有名な耶馬渓がある。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「羅漢寺」の意味・わかりやすい解説

羅漢寺
らかんじ

大分県中津市の本耶馬渓にある曹洞宗の寺。山号は耆闍崛山 (ぎじゃくっせん) 。延元3=暦応1 (1338) 年円龕昭覚がこの地の奇勝な地形を見て,インドのグリドゥラクータ (霊鷲山) になぞらえて,まず山麓に智剛寺を建て,正平 14=延文4 (1359) 年より釈尊,十大弟子,十六羅漢,五百羅漢,四天王など 700ばかりの石像を刻んで安置し,耆闍崛山羅漢寺と号した。

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事典 日本の地域遺産 「羅漢寺」の解説

羅漢寺

(大分県中津市本耶馬渓町跡田1501)
おおいた遺産」指定の地域遺産。
日本三大五百羅漢の1つ。1359(延文4)年、この地を訪れた逆流建順という僧と昭覚禅師により、1年間で700体が彫られたという。境内には3700体を越す石像がある

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百科事典マイペディア 「羅漢寺」の意味・わかりやすい解説

羅漢寺【らかんじ】

大分県本耶馬渓(ほんやばけい)町(現・中津市)にある曹洞宗の寺。暦応(りゃくおう)年中(1338年―1342年)臨済宗の円龕昭覚(えんがんしょうがく)が智剛(ちごう)寺を開創。1359年中国僧逆流建順(ぎゃくりゅうけんじゅん)が来山して五百羅漢を刻して安置し,羅漢寺と改称。1600年曹洞宗に改宗。

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デジタル大辞泉プラス 「羅漢寺」の解説

羅漢寺

島根県大田市にある寺院。1764年創建。高野山真言宗。山号は石室山、院号は無量寿院。本尊は阿弥陀如来。本堂から川を挟んだ向かい側の石窟には、石見銀山で亡くなった人々と先祖の霊を供養するために造られた五百羅漢があり、「石見銀山遺跡とその文化的景観」の一部としてユネスコの世界遺産に認定されている。

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