緯書(読み)イショ

デジタル大辞泉 「緯書」の意味・読み・例文・類語

い‐しょ〔ヰ‐〕【緯書】

中国、前漢末から後漢にかけて作られた書物。経書に対するもので、易緯・書緯・詩緯・礼緯・楽緯・春秋緯・孝経緯など多種がある。儒教の経義に関連させながら予言・禍福・吉凶などを説いたもの。後世、儒家の思想を乱すものとして禁書となり、今日では、一部分だけが残る。

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精選版 日本国語大辞典 「緯書」の意味・読み・例文・類語

い‐しょ ヰ‥【緯書】

〘名〙 中国前漢末から後漢にかけて、経書に対して作られた書物。書緯、詩緯、礼緯、楽緯、易緯、春秋緯、孝経緯等がある。儒教の経義にかこつけて、禍福、吉凶、符瑞などについて説き、後漢、南北朝にかけて、大いに流行したが、のち禁書となり、逸文だけが伝わる。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「緯書」の意味・わかりやすい解説

緯書
いしょ

中国の漢代に盛行した讖緯(しんい)説を集大成した書。先秦(しん)のころより流行していた未来を予言する讖(しん)と、陰陽五行(いんようごぎょう)、災異瑞祥(ずいしょう)、天人相感などの諸説によって経書(けいしょ)を解釈しようとする緯(い)とが結合した讖緯説は、図讖(としん)、図緯(とい)、緯候(いこう)などとよばれて前漢末に隆盛を極めた。それが後漢(ごかん)初に至り、政権と結び付き、王莽(おうもう)の重んじた古文経に対抗して今文(きんぶん)学説として整理の気運が生じ、「乾鑿度(けんさくど)」「考霊曜(こうれいよう)」「元命包(げんめいほう)」など3字の編名を冠するいわゆる『緯書』が成立した。この『緯書』は「易緯(えきい)」「書緯」「詩緯」「礼緯」「楽緯」「春秋緯」「考経緯」の七緯のほか、「尚書中候(しょうしょちゅうこう)」「論語讖(ろんごしん)」「河図(かと)」「洛書(らくしょ)」をも含むが、そのすべてが後漢初の作成ではなく、六朝(りくちょう)期に付加されたものもある。その主要な部分、『後漢書』の「方術伝」の李賢(りけん)注に引く「七緯」は、後漢初めに成立したものと思われ、これには鄭玄(じょうげん)(127―200)注がある。『緯書』には革命説など社会を混乱させる要素も含まれていたため、たびたびの弾圧を受け、唐以後はそのほとんどが亡佚(ぼういつ)した。そこで元の陶宗儀(とうそうぎ)の『説郛(せつふ)』、明(みん)の孫(そんこく)の『古微書(こびしょ)』、清(しん)の趙在翰(ちょうざいかん)の『七緯』、馬国翰(まこっかん)の『玉函山房輯佚書(ぎょくかんさんぼうへんいっしょ)』、喬松年(きょうしょうねん)の『緯攟(いくん)』、黄奭(こうせき)の『通緯逸書考』などは、古今文献から『緯書』の逸文を編集した。日本にも、つとに伝来、甲子(かっし)革命、辛酉(しんゆう)革命などのよりどころとなり、陰陽道(おんみょうどう)にも影響した。

[中村璋八]

『安居香山・中村璋八編『重修緯書集成』全6巻(1971~78・明徳出版社)』『安居香山・中村璋八著『緯書の基礎的研究』(1976・国書刊行会)』『安居香山著『緯書の成立とその展開』(1979・国書刊行会)』

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改訂新版 世界大百科事典 「緯書」の意味・わかりやすい解説

緯書 (いしょ)
wěi shū

経典の解釈に仮託して神秘的な予言を述べた書。緯とは,よこいとであり,たていとを意味する経に対して,〈経の支流にして傍義に衍及する〉つまり経書を解説敷衍したものである。しかし,緯書はほとんどすべて讖(しん)すなわち予占的な要素を含んでいるので,讖緯書とも呼ばれる。《隋書》経籍志によると,六経を編集して〈天人の道を明らか〉にした孔子は,後世の人がその真義を理解しえないのを恐れて,別に讖緯書を準備して,おのれの思想を託したという。これはもちろん非歴史的な付会で,孔子その人は天道や怪力乱神を語らず,神秘をしりぞけて人間の立場を貫こうとしており,緯書の発生にかかわりのあろうはずもなく,このことはすでに後漢の荀悦の否定するところである。緯書の成立を,後漢の張衡は〈哀(帝)平(帝)の際〉と断定した。素朴な未来記はいつの世にもあり,《史記》秦本紀の,いわゆる秦讖〈秦を亡ぼす者は胡なり〉など有名なものであるが,まとまった緯書として組成されたのは,前漢の末期というのが,おおかたの定説とみてよい。

 緯書の成立を前漢の中ごろまでさかのぼらせる説もある。その出現の起動を,斉を本拠とする方士の台頭とする考えにもとづく。方士の道術は〈黄金も成すべく,不老の薬も得べく,仙人も致すべき〉不可思議なものであった。この道家説を変形させた新宗教に対抗するために,経学を神秘化したのが緯書だと見るのである。後漢を復興した光武帝も,つぎの明帝,章帝も,ともに讖緯を信ずること厚く,緯書に精通しない者は栄進の道を断たれ,批判する者は迫害された。儒者は争って緯書を学び,緯書によって経典を解釈した。それは《易》《書》《詩》《礼》《楽》《春秋》にあまねく,《孝経緯》をあわせて七緯と呼ばれる。《論語》はまだ経ではなかったが,重んぜられて〈論語讖〉が作られ,緯書は盛んに行われた。
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普及版 字通 「緯書」の読み・字形・画数・意味

【緯書】い(ゐ)しよ

経書に付会して、未来のことを予言した書。〔礼記、王制、羊、六國の時に當り、孔子を去ることく、書世に行はる。

字通「緯」の項目を見る

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「緯書」の意味・わかりやすい解説

緯書
いしょ
Wei-shu

経書に対するもので,経書を説明するためにつくられたが,内容は吉凶禍福や未来の予言が多い。前漢末から流行。『易経』『書経』『詩経』『礼記』『楽記』『春秋』『孝経』に各一緯があり,合せて七緯という。現在伝わるものはすべて完本ではない。

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世界大百科事典(旧版)内の緯書の言及

【禁書】より

…ただし医薬,卜筮(ぼくぜい),農業に関する書のみはその使用を許すというこの挟書律(きようしよりつ)は,漢の高祖にも受けつがれ,恵帝に至って解除された。秦・漢の思想界は迷信的色彩が強かったが,ことに前漢の中ごろから後漢の初めにかけ,予言や神秘を説く讖緯(しんい)説が流行し,おびただしい緯書が現れた。人心を乱す妖妄の書として南北朝の宋や梁でもしばしば禁じられたが,隋の煬帝(ようだい)が即位すると,全国に使者を派遣して讖緯に関する書を焚かせた。…

【経学】より

…もと,織物の〈たて糸〉の意から転じて,儒家のばあい,〈つねのみち〉,すなわち永久不変の原理を提供する,人間生活の軌範を十全に備えた教義の典籍とされ,内容は孔子や周公など,古代の理想の祖師や聖賢の述作として,権威づけられた。前漢末には,この経書を補うものとして,秦・漢期以来の多くの〈伝記〉〈伝説〉のほかに,〈よこ糸〉を意味する〈緯書〉が制作されている。当時,書名としては《孝経(こうきよう)》が早くから著名であるが,《老子》などにも〈経伝〉〈経説〉があった(《漢書》芸文志)。…

※「緯書」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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