精選版 日本国語大辞典 「総追捕使・惣追捕使」の意味・読み・例文・類語
そう‐ついぶし【総追捕使・惣追捕使】
〘名〙 (古くは「そうづいぶし」「そうづいふし」とも)
① 鎌倉幕府の創始期に諸国および郡・郷・庄・保におかれた職。その地域の軍事警察権、反別五升の兵糧米の徴収権などをつかさどった。その全国的な設置・任命権は、文治元年(一一八五)に朝廷によって認められた。そのため源頼朝は、これら総追捕使全部の任命権者として「日本国総追捕使」あるいは「六十六箇国の総追捕使」とよばれた。また、国の総追捕使がのち守護となった。
※吾妻鏡‐元暦二年(1185)四月二六日「近年兵革之間、武勇之輩耀二私威一、於二諸庄園一致二濫行一歟、依レ之、去年春之比、冝レ従二停止一之由、被レ下二綸旨一訖、而関東以二実平景時一、被レ差二定近国惣追捕使一之処」
② 平安後期ごろから、さまざまな地域に臨時におかれた職。その地域の軍事警察権をつかさどり、①がおかれる素地となった。
※保元(1220頃か)上「三郎忠国が聟に成て、君よりも給らぬ九国の惣追補使と号して、筑紫をしたがへんとしければ」
※吾妻鏡‐治承五年(1181)三月一二日「以二常陸国塩浜、大窪、世谷所々一、被レ奉レ寄二鹿嶋社一、其上御敬神之余、於二宮中一為レ不レ令レ現二狼藉一、以二鹿嶋三郎政一、被レ定二補当社惣追捕使一」
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