綱敷天満宮

デジタル大辞泉プラス 「綱敷天満宮」の解説

綱敷天満宮

兵庫県神戸市須磨区、須磨の浦付近にある神社祭神菅原道真太宰府への左遷の折に道真が立ち寄り、猟師大綱で編んだ円座で休んだとの言い伝えがある。

綱敷天満宮

福岡県築上郡築上町にある神社。主祭神は菅原道真。道真没後に建立された天満天神社を勧進したものと伝わる。梅の名所

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事典・日本の観光資源 「綱敷天満宮」の解説

綱敷天満宮

(福岡県築上郡築上町)
福岡県文化百選 建物編指定の観光名所。

出典 日外アソシエーツ「事典・日本の観光資源」事典・日本の観光資源について 情報

日本歴史地名大系 「綱敷天満宮」の解説

綱敷天満宮
つなしきてんまんぐう

[現在地名]今治市古国分

天神原てんじんばら白砂青松の景勝地にある。祭神は菅原道真。旧郷社。

寛永年中(一六二四―四四)の社地改(古国分村由来記)では東西一一四間、南北五五間と広大であったが、明治一三年(一八八〇)の「伊予国越智郡地誌」では四四間と一二間で著しく減少している。

「古国分村由来記」によると、宝永七年(一七一〇)から神輿の宮出しが始まったが、正徳三年(一七一三)祭礼に、神前に魚を供えたことから、別当国分寺と社人の七年間にわたる争論となり、その間祭礼が行われなかった。

綱敷天満宮
つなしきてんまんぐう

[現在地名]博多区綱場町

旧村社、祭神は菅原道真。慶長元年(一五九六)綱場つなば町に移されたが、元禄一四年(一七〇一)買得による社地拡張により土居町下どいまちしも側に門を設け、以降土居町下の所在とみなされるようになった。創祀に関して菅原道真が大宰府に左遷された際、そで湊に上陸した道真に海人が船の綱を輪にして敷物とし、休憩の場を作ったと伝え、綱輪つなわ天神と通称された。また綱敷天神とも称された(「続風土記」「石城志」など)。もとは袖湊の入海のそばにあったと伝えるが、度々兵火にかかって転々と社地を変え、慶長元年僧正円が現在地に再興。

綱敷天満宮
つなしきてんまんぐう

[現在地名]椎田町高塚

周防灘に面した字浜宮はまみやの松林中に鎮座する。旧郷社。祭神は菅原道真・天穂日命・吉祥女。俗に椎田天満宮・椎田の浜宮とも称した。「太宰管内志」には昌泰四年(九〇一)大宰府に左遷された菅原道真が風波のため漂着したのを、八田はつた尾原おばら(小原)の民が助けて纜を敷いた席を設け、道真没後には椎田高塚に祠を建立し道真を祀った。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

世界大百科事典内の綱敷天満宮の言及

【椎田[町]】より

…米作を主とする農業が主産業で,野菜栽培も盛んであるが,近年北九州市への通勤者も増加している。豊前海岸には菅原道真とゆかりの深い綱敷天満宮(浜宮)があり,梅の名所として知られる。【松橋 公治】。…

※「綱敷天満宮」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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