綱引き
つなひき
人が左右2組に分かれ、1本の綱を引き合い、相手を引き込んだほうを勝ちとする競技。スポーツの一種として親しまれているが、綱引きは元来、年占(としうら)や豊作・豊漁祈願の意を込めて行われることが多かった。全国に分布する行事で、小正月(こしょうがつ)や盆、十五夜に行われることが多い。形式には、2組に分かれて綱を引き合うもののほか、引き合わないで村落内を綱を担いだり引きずって歩いたりするものもある。用いる綱は稲藁(わら)やチガヤを材料にしたものが多く、じょうぶにするために蔓(つる)草なども加えられるが、長短や太さは所によってまちまちである。形状も、蛇形に綯(な)ったり、男女の性器を模した雄綱・雌綱をつくったり、本綱に多数の枝綱を結び合わせたものなど、単なる1本の太綱だけでないものも珍しくない。引き合う綱引きの場合は、村落間の対抗や村落内の男女・老若間対抗の形をとり、勝った側に豊作、豊漁、幸福などがもたらされるとするものである。しかし実際には一種の神事として儀礼的抗争に終始するものが多く、あらかじめ勝つ側が決まっている例さえある。あとの綱は社寺に納めたり川へ流したりしている。綱引きとは称しても、引き合わないものも多い。奈良県を中心に分布する綱掛け祭りはその一種で、正月に勧請縄(かんじょうなわ)とよぶ太綱をつくって男たちがにぎやかに村落内を担ぎ歩き、悪疫・災禍の入来を防ごうとの意で、それを村境の道路や川をまたいで左右の木に張り渡している。千葉・茨城県には、盆に子供たちが綱を引いて新盆の家を回ったあと、川に流したり、綱で土俵をつくって相撲(すもう)をとったりする所がある。綱の土俵の中で相撲をとる例は南九州に多い。鹿児島県を中心として分布する十五夜の綱引きは特異なもので、引いて歩く前に、蛇がとぐろを巻いたように綱を丸く積み上げ、それに餅(もち)、団子、いもなどの供え物をしたり、その輪の中に入って月を拝んだりする例があり、水神である竜神の祭りとの関連をうかがわせている。綱引きは世界各地で行われているが、とくに韓国や中国、東南アジア、オセアニアなどには、わが国のと類似するものが少なくない。
[田中宣一]
元来は宗教的な意味をもつ年中行事であり、狩猟民ではエスキモーおよびイヌイット、カムチャツカ半島のイテリメン人、また農耕民族では東アジア、インドシナ半島などの水稲耕作民の間で盛んに行われた。
近年、それがスポーツとして行われるようになり、1908年のオリンピック・ロンドン大会では、番外種目として行われたこともある。国際綱引連盟の定めるルールに基づき、1981年(昭和56)日本綱引連盟が競技規則を設け、スポーツとしての綱引きが、全国的に盛んに行われるようになった。長さ33.5~36メートルの綱を、1チーム8人のタガーたちが、2組に分かれて引き合い、4メートル引き寄せたチームが勝ちとなる。11の体重別クラスに分かれ、8人の体重合計が、いちばん軽いクラスが400キログラム以下、約40キログラムごとに1階級ずつあがり、もっとも重いクラスが800キログラム以上である。試合は3セットマッチで行われる。
[太田昌秀]
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綱引き
つなひき
tug-of-war
一定の標識を中央にして 2組の人々が綱を引き合い,相手を自陣に引き寄せた組を勝ちとする遊戯ないし競技。元来は豊作を祈ったり,作物や漁獲の豊凶を占う年占の行事であったものが,本来の意義が失われていくのに伴ってしだいに遊戯化もしくは競技化されたもので,世界的に広く行なわれている。チームワークの重要性を認識させるのに格好であることから,早くから小学校の体育に取り入れられ,運動会では盛んに行なわれている。オリンピック競技大会でも 1900年の第2回パリ・オリンピック競技大会から 1920年の第7回アントワープ・オリンピック競技大会まで陸上競技種目の一つとして取り入れられており,第2次世界大戦までは各国陸上競技連盟の競技規則も設けられていた。近年,国際的にはワールドゲームズ,日本では文部科学省による全国スポーツ・レクリエーション祭(1988~2011)において,それぞれ第1回大会から競技種目に取り入れられた。
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綱引き【つなひき】
2組の人びとが綱の両端を引き合う競技。世界中の多くの民族で行われており,その分布は広い。しかし,それらは土着性の強い,儀礼的なものがほとんどである。1960年には国際綱引き競技連盟が結成され,近代スポーツとして国際化の第一歩を踏み出した。日本では元来,正月,盆,中秋,端午,その他社寺の祭礼などに,豊作を祈って行う神事。集落,男女,老若,あるいは農民と漁民などに分かれて綱を引き合い,勝負によって吉凶を占う一種の年占(としうら)である。明治以後は学校の運動会の競技種目として人気を呼び,今日でも全校綱引きや全学年綱引きは運動会の重要なプログラムとなっている。
→関連項目占い|祭り
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デジタル大辞泉
「綱引き」の意味・読み・例文・類語
つな‐ひき【綱引き/綱×曳き】
1 二組みに分かれて1本の綱の両端から引き合って勝負を争う競技。運動会などで行われるが、もとは年占行事の一種で、豊凶を占った。《季 新年》「―や去年の八束穂より合せ/蓼太」
2 (比喩的に)一つのものを両者で奪い合うこと。「業界一位、二位による再編の―が続く」
3 人力車などで、急を要するとき、かじ棒に綱をつけてもう一人が先引きすること。また、その人。
4 牛馬などが、引かれるのをいやがってさからうこと。
「引き寄せばただにはよらで春駒の―するぞなは立つと聞く」〈拾遺・雑賀〉
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つなひき【綱引き】
綱を左右二手に分かれて引き合い,力を競う競技。運動と用具が手軽なこともあって未開社会と伝統的社会に広く行われる。狩猟民ではエスキモーが天候占いに,アイヌが熊祭の一部に,カムチャツカ半島のイテリメン族(カムチャダール族)が季節の交代を確かならしめるために綱を引き合う。しかしより発達しているのは農耕民である。それも東アジアと東南アジアの水稲耕作民にとくに濃密に分布し,インド,北アフリカ,ヨーロッパの穀物栽培地帯に点在し,アジアから押し出された形でオセアニアのイモ類栽培民に散在する。
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世界大百科事典内の綱引きの言及
【運動会】より
…さらに日露戦争後の地方改良運動と関連して,学校運動会が校区民衆にとっても子どもを媒介としたレクリエーションの場と化していく。元来は豊凶を占う神事の一つだった〈綱引き〉が,父母ともども参加する種目になったことに示されるように,地域の〈まつり〉の要素を含むようになった。以後,運動会は地域と学校との数少ない交流の場となるとともに,子どもたちにとっても全員が同時に共同参加する数少ない行事の一つとなったのである。…
【端午】より
…例えば茨城県新治郡出島村(現,霞ヶ浦町)ではイシブシ(石投げ合戦)といい,菱木川をはさんで子供同士が口げんかから石投げとなり,大人や近隣の人々も応援にかけつけるありさまだったというが,石が当たっても菱木川で洗えば傷にならないといった。菖蒲叩きも二手に分かれて争う場合があったが,この日に競馬や綱引きをする所も多かった。鳥取県岩美町田河内では,子供が各家の屋根に挿してある菖蒲を集め,それに藁を加えて菖蒲綱という大綱を作って持ち歩いた後,二手に分かれて綱引きをしたという。…
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