日本大百科全書(ニッポニカ) 「組」の意味・わかりやすい解説
組
くみ
日本の村落のなかで、もっとも狭い地区につくられた地縁的な機能(関心)集団のことをいう。村落内で相互扶助的な共同生活を営んでいる近隣集団のつくる組織だといってよい。同種のものに講とよばれるものがあるが、それは信仰的なものを成立の基盤とするものであり、性格上異なる点をもっている。
組は、普通数戸ないし十数戸によって構成されている。そこで、一つの地区(村落)は、いくつかの組に分かれている場合が多い。その呼び名は、地方によって異なるが、代表的なものには、「坪(つぼ)」「垣内(かいと)」「方切(ほうぎり)」「契約」「門(かど)」あるいは「五人組」などがある。また、組は、共同扶助と、祭礼、冠婚葬祭、普請、火災・水害防衛などの機能を果たすところから、「葬式組」「祭組」「普請組(屋根講)」あるいは「ゆい組」などともよばれる。日本の地域共同社会(コミュニティ)としての村落には、こうした組とよばれる多種類の機能集団(アソシエーション)が、あたかもその諸器官のように存在し、それぞれの役割を果たしているのである。
日本の家と村落の基本構造を形づくるものとして、「同族と組」という家連合の類型と、「同族結合と講組結合」という村落の類型を設ける諸説がある。前者は、本家を頂点として、系譜関係をもつ家々が、ピラミッド型に序列づけられてできるタイプのものと、家々が平等の資格で並列的に存在してできるタイプのものとの、二つのタイプを設けた説である。そして後者は、こうした二つのタイプを村落の型として考えた説である。これらの諸説は、日本の家と村落についての諸特徴をよくとらえているから、その点は生かしながらも、よりいっそう現実社会や歴史的過程に即したものとして、理論的発展を図るとよいだろう。
ところで、日本の歴史のなかで、為政者が、近隣集団としての組の結合に着目して、それを国家の行政機構の末端の単位として組み入れ、利用したことがあった。すなわち、江戸時代には、五人組の制度を敷くことによって、それを行政上に位置づけ、連帯責任による相互検察、共同担保、互助共済の機能を果たさせたのであった。また、昭和に入って、戦時下、隣組制度が敷かれたのは、同じく組を、行政上の単位として掌握し、末端の機能を果たさせたものであった。しかし、本来の組は、こうした行政制度のなかに組み入れられたものとは性格的に異なるものであって、逆に現実の地縁結合のなかから発生した集団であるという点は、注意しておかなければならない。
[二宮哲雄]
『守随一著「部落と組」(柳田国男編『山村生活の研究』所収・1937・民間伝承の会)』▽『有賀喜左衞門著「日本の家」(『日本民族』所収・1952・岩波書店)』▽『福武直著『日本農村の社会的性格』(1949・東京大学出版会)』▽『二宮哲雄著「ムラと組」(『講座日本の民俗2 社会構成』所収・1980・有精堂出版)』