細江別符(読み)ほそえべつぷ

日本歴史地名大系 「細江別符」の解説

細江別符
ほそえべつぷ

浮田うきた庄の南西部、大谷おおたに川の水源の山間部谷間に開かれた豊前宇佐宮領の庄園。宇佐大鏡によれば、長峯ながみね別符などと同じく浮田庄の四至内の荒野を開発して成立した。開発者は不明。起請定田は三三丁、長承年間(一一三二―三五)目録では三三町一段で、長峯別符のほぼ倍の規模を有している。所当例済物は重色米六六石・軽色布六六疋・田率綿二四両三分・帷布一反、放生会料は斑幔二帖・筵三枚であった。安元二年(一一七六)二月日の八幡宇佐宮符写(奈多八幡縁起私記)によると、宇佐宮行幸会の際には御服綿八両・手作布二段・麻布二段などを負担していた。建久図田帳では長峯別符が田数を増加させているのに対して、当別符は二五町と田数が減少している。弁済使は藤二(実名不明)。田数は建久図田帳の応永二八年(一四二一)二月二七日の追記では二五町、天文二年(一五三三)八月三日の宇佐宮領注文(到津文書)では三三町とあり、平安時代末から鎌倉時代にかけて固定されたものを踏襲するにとどまっている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報