細川晴元(読み)ほそかわはるもと

精選版 日本国語大辞典 「細川晴元」の意味・読み・例文・類語

ほそかわ‐はるもと【細川晴元】

室町後期の武将。細川澄元の子。将軍足利義晴を奉じて近江国に走った細川高国戦い、享祿四年(一五三一)これを敗死に追いやり、京都を支配した。天文一八年(一五四九)家臣三好長慶と戦い、京都を追われた。永正一一~永祿六年(一五一四‐六三

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デジタル大辞泉 「細川晴元」の意味・読み・例文・類語

ほそかわ‐はるもと〔ほそかは‐〕【細川晴元】

[1514~1563]室町後期の武将。澄元の子。管領かんれいとなったが、のち、家臣の三好長慶に追われ、剃髪して隠居。以後、管領細川氏の権威は失墜した。

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百科事典マイペディア 「細川晴元」の意味・わかりやすい解説

細川晴元【ほそかわはるもと】

戦国期の武将。澄元の嫡子として阿波で生まれる。三好元長らに擁せられて阿波で挙兵,1527年和泉堺に上陸。1531年前管領細川高国を敗死させ,翌年には元長をも自刃に追いやった。細川惣領家家督となり,山城など5ヵ国の守護となる。一向一揆法華一揆がほぼ鎮圧された1536年,ようやく入京し幕政を主導した。1549年,三好長慶の台頭により京を追われ,細川政権は崩壊した。その後各地を流浪,晩年は普門(ふもん)寺(現大阪府高槻市)に幽閉された。
→関連項目芥川城足利義晴飯盛城石山本願寺六角義賢

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改訂新版 世界大百科事典 「細川晴元」の意味・わかりやすい解説

細川晴元 (ほそかわはるもと)
生没年:1514-63(永正11-永禄6)

戦国時代の武将。澄元の嫡子。幼名六郎。官途は右京大夫。法名永川。一清と号す。阿波勝瑞(しようずい)城に生まれた。1527年(大永7)三好元長に擁せられて堺に上陸,足利義維(よしつな)を将軍跡目に戴いて,事実上畿内に覇を唱え,31年(享禄4)前管領細川高国を敗死させてから細川惣領家家督となり,山城,摂津丹波讃岐,土佐の守護に就任,畿内の3ヵ国は49年(天文18)まで実質的に支配した。執政の初年は一向一揆,法華一揆が畿内各所に蜂起して混乱を極めたが,36年までに逐次鎮圧した。その間,居城を堺金蓮寺,淡路,摂津池田,同芥川城と移動したが,ようやく36年入京して幕府をも掌握した。阿波,摂津の国衆と京都の権門との利害を妥協させ,京畿にしばしの小康状態をもたらしたが,やがて家宰三好長慶が台頭し,彼の離反によってその政権は49年瓦解した。以後,若狭,近江の間を流浪し,晩年は長慶のため摂津普門寺に幽閉され,失意のうちに死んだ。鉄砲を最初に実戦に使用した戦国大名として知られる。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「細川晴元」の意味・わかりやすい解説

細川晴元
ほそかわはるもと
(1514―1563)

室町末期の武将。室町幕府の管領(かんれい)。幼名聡明丸(そうめいまる)。阿波(あわ)守護細川家の出身で、管領細川政元(まさもと)の養子となった細川澄元(すみもと)の子。父が管領細川高国(たかくに)に追われたため、阿波(徳島県)に住んだ。1527年(大永7)3月足利義維(あしかがよしつな)とともに阿波の三好元長(みよしもとなが)に擁せられ堺(さかい)に上陸、以後堺の顕本寺(けんぽんじ)を本拠として畿内(きない)支配を行う。32年(天文1)一向一揆(いっこういっき)に堺を追われ淡路に逃れる。33年淡路を脱出して摂津池田城(大阪府池田市)に入り芥川(あくたがわ)城(高槻(たかつき)市)に移り、36年までこの地を本拠として畿内を支配。同年9月ようやく入京を果たし、管領として以後16年間政権を維持した。しかし49年江口(えぐち)(大阪市東淀川(ひがしよどがわ)区)の合戦で三好長慶(ながよし)に敗れ、前将軍義晴(よしはる)、将軍義輝(よしてる)とともに近江(おうみ)に走り、ついに晴元政権は崩壊した。晴元は実権を振るった最後の管領であり、政元以来幕府を事実上支配した細川氏にあって、幕権を握った最後の人物であった。永禄(えいろく)6年3月1日摂津普門寺に没。

[矢田俊文]

『今谷明著『言継卿記』(1980・そしえて)』

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朝日日本歴史人物事典 「細川晴元」の解説

細川晴元

没年:永禄6.3.1(1563.3.24)
生年:永正11(1514)
戦国時代の武将,室町幕府管領。幼名聡明丸。通称六郎。右京大夫。澄元の子。永正17(1520)年7歳で家督を継ぐ。父澄元が敗走先の阿波で没したため,同地で三好元長の保護を受けて育つ。大永6(1526)年元長らと挙兵し,翌年和泉堺に兵を進めた。享禄4(1531)年,細川高国を尼崎で自刃に追い込み,政権の座に就く。しかし,三好政長らの讒言を信じて元長に不信を抱くようになっていた晴元は,天文1(1532)年,一向宗徒の力を借りて元長を滅ぼした。このことは天文17(1548)年,元長の子長慶が高国の養子氏綱を擁して晴元に背く遠因ともなる。氏綱,長慶により京を追われた晴元は前将軍足利義晴,将軍足利義藤(義輝)と共に近江に逃れ,その後も抗争を続けた。永禄1(1558)年6月には山城国如意ケ岳に陣し,長慶の兵と鹿ケ谷に戦うが,永禄4年5月和がなり,晴元は摂津国富田普門寺に隠棲した。

(森田恭二)

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「細川晴元」の意味・わかりやすい解説

細川晴元
ほそかわはるもと

[生]永正11(1514).阿波
[没]永禄6(1563).3.1. 摂津
室町時代末期の武将。澄元の子。通称,六郎。号,一清。父の死後阿波にいたが,享禄4 (1531) 年6月4日摂津天王寺の合戦で細川高国を破って自殺させ,以後細川管領家の嗣として威をふるい,翌天文1 (32) 年6月 20日三好元長を和泉堺南庄に攻めて自殺させた。しかし同 18年6月三好長慶と戦って京都を追われ,のち足利義輝に仕えて,長慶と対抗したが,永禄4 (61) 年和し,摂津富田の普門寺に入り,失意のうちに同寺で没した。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「細川晴元」の解説

細川晴元
ほそかわはるもと

1514~63.3.1

戦国期の武将。澄元の子。聡明丸・六郎。右京大夫。法名一清。1527年(大永7)足利義維(よしつな)とともに三好元長に擁されて阿波から和泉国堺へ上陸。細川高国を追い,堺にいながら京都を支配した。元長の強大化を嫌い,一向一揆を動かして自刃させる。36年(天文5)天文法華の乱の鎮静後入京。しかし元長の子長慶が背いたため,49年,将軍足利義輝と近江へ出奔。義輝と長慶の和睦後若狭に逃れ,61年(永禄4)長慶と和して摂津国普門寺に隠棲。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「細川晴元」の解説

細川晴元 ほそかわ-はるもと

1514-1563 戦国時代の武将。
永正(えいしょう)11年生まれ。細川澄元(すみもと)の子。阿波(あわ)の三好元長に支援されて和泉(いずみ)(大阪府)堺(さかい)に兵をすすめ,畿内(きない)を支配。享禄(きょうろく)4年細川高国をほろぼし細川惣領家をつぎ,天文(てんぶん)5年管領(かんれい)職につくが,18年元長の子長慶(ながよし)らに追放された。永禄(えいろく)6年3月1日死去。50歳。幼名は聡明丸。通称は六郎。

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旺文社日本史事典 三訂版 「細川晴元」の解説

細川晴元
ほそかわはるもと

1514〜63
室町後期の武将
同族の細川高国を破って細川管領家を継いだが,家臣の執事三好長慶の下剋上 (げこくじよう) のために1549年京都を追われ,細川管領家は事実上滅亡した。

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世界大百科事典(旧版)内の細川晴元の言及

【一向一揆】より

…この戦闘は本願寺中央権力による加賀の支配権の確立の意義を持つ。 32年(天文1)証如は細川晴元の要請で河内飯盛山城に畠山義宣,堺南荘に三好元長を滅ぼし,これに勢いを得た大和一向一揆が蜂起して興福寺を焼き払う。この事件に反発した京都の日蓮宗門徒は蜂起し(法華一揆)山科本願寺を焼き払い,証如は石山に逃れる。…

【摂津国】より

…旧国名。摂州。現在の大阪府の北西・南西部および兵庫県の東部の地域にあたる。
【古代】
 畿内に属する上国(《延喜式》)。管轄下の郡として《延喜式》によると住吉,百済,東生(ひがしなり)(後に東成),西成,島上,島下,豊島(てしま),川辺,武庫(むこ),兎原(うはら),八部(やたべ),有馬,能勢の13郡を数え,このうち能勢郡は713年(和銅6)に川辺郡から分立した郡である。また八部郡は8世紀には雄伴(おとも)郡の名で呼ばれていた。…

※「細川晴元」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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