納涼(読み)のうりょう

精選版 日本国語大辞典 「納涼」の意味・読み・例文・類語

のう‐りょう ナフリャウ【納涼】

〘名〙 暑さを避けて涼しさを味わうこと。すずみ。どうりょう。
※書言字考節用集(1717)一「納凉 ナフレウ」
※秋風と二人の男(1965)〈庄野潤三〉五「初めて行った年に納涼の映画があって」 〔徐陵‐内園逐涼詩〕
[補注]古くは「色葉字類抄」「源平盛衰記」「文明本節用集」、新しくは「譬喩尽」まで「どうりょう」と読んでいるので、漢籍と最近の例および「のうりょう」と確かに読んでいる例以外はすべて「どうりょう」の項へ収めた。

どう‐りょう ダフリャウ【納涼】

〘名〙 (「どう」は「納」の漢音) 暑さを避けて涼しさを味わうこと。のうりょう。
菅家文草(900頃)二・夏日偶興「行吟古集納凉詩
※源平盛衰記(14C前)四八「九夏三伏の熱(あつき)夕へには、泉に向(むかって)納凉(ダフリャウ)す」

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報

デジタル大辞泉 「納涼」の意味・読み・例文・類語

のう‐りょう〔ナフリヤウ〕【納涼】

暑さを避けるため、工夫をこらして涼しさを味わうこと。すずみ。「納涼船」
[類語]涼み夕涼み消夏消暑

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

改訂新版 世界大百科事典 「納涼」の意味・わかりやすい解説

納涼 (のうりょう)

炎暑の候に暑さを避けること。〈涼み〉ともいう。古くは緑陰あるいは水辺に涼を求めた。平安貴族は寝殿造の泉殿や釣殿で,池の面を吹く夕風のなかで,釣りをしたり詩歌の会や音楽の会を催して暑さを忘れたと,《宇津保物語》や《源氏物語》に見える。また氷室(ひむろ)に貯蔵しておいた氷を,立夏の日に氷室開きをして,盛夏に用いることも一つの納涼であったろうが,これは限られた上流階級のことである。王朝時代の避暑地では宇治が有名であり,緑陰と川とに恵まれていたからであろう。宇治大納言源隆国が,この地の南泉坊に避暑して,道行く人から諸国話を聞いて《宇治拾遺物語》を作ったという話は,伝説であるがおもしろい。《日次紀事》には6月19日から晦日(みそか)まで下賀茂神社に諸人が参拝し,六月祓(みなづきばらえ)をするが,茶店が設けられていて,人々が納涼の遊びをしたとある。糺森(ただすのもり)も京都人の納涼の地だったのである。

 江戸時代になると,京都の四条河原の納涼と,江戸の隅田川涼み船とが納涼の好話題となる。江戸時代半ばころから,賀茂川の四条河原では流れの上に一面に腰掛けが設けられ,ここで足を水に浸して涼をとったが,それは旧暦の6月7日の夜から18日夜までおこなわれたという。それがさらに遊楽化されて,川床が設けられ,若衆や遊女を呼んで歌舞を楽しむようにもなった。円山応挙の弟子山口素絢の《四条河原納涼図》がその情景を描いており,井原西鶴などの浮世草子にもそのにぎわいが記されている。江戸では納涼の初日は旧暦5月28日で,隅田川の川開きの行事がおこなわれ,それから3ヵ月間が夕涼みの期間であった。大身衆(たいしんしゆう)や旦那(だんな)衆に好まれた隅田川の涼み船は慶長(1596-1615)ころに始まるが,しだいに大型になって,やがて新発明の屋形船(やかたぶね)が造られた。両岸に並ぶ茶亭の灯影が映る川面に,江戸浄瑠璃を聞きつつ涼を求める豪華な興趣を好んだのである。しかし庶民には望むべくもなく,彼らは隅田川の橋に立って川風に涼を求める橋涼みをこととした。当時は橋のたもとは一つの盛場で,ことに両国橋際には,枇杷葉湯(びわようとう),白玉水,ところてん売などの茶店や,猿回し,軽業などの見世物小屋があり,納涼客をあてこんでにぎわった。〈千人が手を欄干や橋涼み〉という其角(きかく)の句は,この庶民の納涼を伝えたものである。享保(1716-36)ころに始まるという両国の花火も,このころからの納涼の行事といえよう。また上野不忍池(しのばずのいけ)の周辺も納涼の地で,5月末から町角の広場に出茶屋を設け,涼を求める人の行楽の地となっていた。なお蛍狩,簾(すだれ),うちわ,縁台将棋などは,納涼と結びつく景物である。このうち簾は,もと屋内の間仕切り用であったのが,夏の日ざしを避けるに適するところから庶民の納涼の具となった。明治以降交通の便を得るにしたがって,海辺山間清涼の地を求める,いわゆる避暑がおこなわれるようになった。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「納涼」の意味・わかりやすい解説

納涼
のうりょう

河畔船上で夕涼みをする年中行事。東京・隅田(すみだ)川の川開きは7月最終の土曜日に行われ、華やかな名物行事となっているが、明治以前には旧暦5月28日から8月28日までの3か月間を隅田川の夕涼みの期間として、その初日に両国で川開きが行われたことが、『江戸名所図会』や『東都歳事記』にみえる。もとは手慰み程度に花火をあげていたが、茶屋、船宿が景気づけのため、玉屋、鍵(かぎ)屋などの花火師を競って買うようになり、花火大会が呼び物になった。現在は隅田川花火大会実行委員会の主催行事になった。

 京都でも古くから四条河原で納涼が行われ、旧暦6月7日から、14日の祇園会(ぎおんえ)を挟んで18日夜まで開かれた。納涼とはいうが、明らかに祇園祭の物忌みの期間であったと思われる。6月は稲田に十分水を補わなければならず、また害虫を追い払わねばならないときである。各地の祇園祭、天王祭も悪霊を払う行事であり、6月晦日(みそか)には大祓(おおはらい)の祭りも行われる。大分県日田(ひた)市などでも6月1日を川開きとよんで、花火をあげ、万灯流しの行事をする。仙台や福島では6月1日を川入りとよび、鹿児島県長島などではこの日を川祭りといっている。川祭り、川入りは、6月の物忌みに潔斎をする最初の日であったことがうかがわれる。

 都会の川開きも、これらの農村の川祭りから発展して、花火大会を中心とする行事にまで変化していったことは、おおよそ筋道をたどることが可能である。そのほか川開きの名称を用いないものも、多摩川の花火大会、河口湖の湖上祭、芦(あし)ノ湖の湖水祭、各地の海開き・滝開きなど、みな同じ趣旨から発展した行事ということができる。水辺で花火をあげて納涼大会を催し、人を集めることは全国的な流行となり、また盆の精霊(しょうりょう)送りと結び付けて灯籠(とうろう)流し、万灯流しを行う例も多くなっている。

[田原 久]


出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

普及版 字通 「納涼」の読み・字形・画数・意味

【納涼】のうりよう(なふりやう)

涼み。宋・軾〔子由(轍)の木山、水を引くに和す、二首、一〕詩 遙かに想ふ、夜永く 、汪汪(わうわう)を照らすを

字通「納」の項目を見る

出典 平凡社「普及版 字通」普及版 字通について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「納涼」の意味・わかりやすい解説

納涼
のうりょう

涼みのこと。酷暑の候に,水辺や林間で避暑をする風は古来からあり,平安貴族は別荘ももっていた。夕方の涼風を利用して行う夕涼みは,江戸時代になると貴賤を問わず盛んになり,川に屋形船を浮べたり,河原を利用したりして遊興がなされた。また,花火や神仏の縁日なども納涼風物として大いににぎわい,特に江戸両国橋界隈の納涼風俗は浮世絵,名所絵にも描かれ名物でもあった。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

今日のキーワード

脂質異常症治療薬

血液中の脂質(トリグリセリド、コレステロールなど)濃度が基準値の範囲内にない状態(脂質異常症)に対し用いられる薬剤。スタチン(HMG-CoA還元酵素阻害薬)、PCSK9阻害薬、MTP阻害薬、レジン(陰...

脂質異常症治療薬の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android