米本昌平(読み)よねもとしょうへい

日本大百科全書(ニッポニカ) 「米本昌平」の意味・わかりやすい解説

米本昌平
よねもとしょうへい
(1946― )

科学史・科学論・バイオエシックス生命倫理)の研究者。名古屋市に生まれる。1966年(昭和41)京都大学理学部に入学。在学中、山岳部に所属し、1969年同大学ブータン学術調査隊に参加。全国的に学問の問い直しを厳しく迫った学生反乱の時代に大学生活を送り、大学アカデミズムのあり方に失望在野で研究することによって現代科学を批判する道を選ぶ。1972年京都大学理学部卒業後、証券会社勤務のかたわら独学で生物学史を研究する。分子生物学が主流となっていくなかで非科学として排斥されたハンス・ドリーシュの目的論的生気論の意味を読み直した「エンテレヒーと情報概念」(1974)が公刊された最初の論文である。そこから、なぜドリーシュの生気論が排斥され、無視されるようになったのかを考え、トーマス・クーンの「パラダイム」概念が、問い方や答え方のモデルを与えるものをさすのに対して、「生物をどうみてはいけないか」といった禁止条項が「ネガティブ・パラダイム」として新パラダイムの重要な一翼を担うとする論を提唱する。

 1976年、三菱(みつびし)化成(現、三菱ケミカル)生命科学研究所に科学史担当の研究員として採用される。所属した社会生命科学研究室では、当時アメリカで議論を巻き起こしていた遺伝子組換え論争をテーマの一つとしていたこともあり、ナチス優生学の歴史研究をベースに据え、現代の生命科学・医療の社会的・倫理的諸問題に取り組む。『バイオエシックス』(1985)と『先端医療革命』(1988)では、1970年代アメリカで始まったバイオエシックスを日本に導入し、おもにアメリカと日本における遺伝子治療、体外受精、出生前診断臓器移植脳死などの問題について考察を行い、先端医療の技術・思想・制度をめぐる諸問題を科学技術・医療政策の文脈に位置づけた。

 その間、ナチスの優生学史に関連する一連の論文を発表していたが、まとまった著書として『遺伝管理社会』(1989)を刊行、毎日出版文化賞を受賞する。同書ではナチス以前に、イギリス、アメリカなどにおいて、19世紀の自然科学主義から社会ダーウィニズム(ダーウィン進化論の選択原理を人間やその社会に適用し、人類の進化を説明しようとする思想)の流れが広がり、ワイマール期のドイツでは民族(人種)衛生学として優生学が制度化されていた経緯をふまえて、優生学がナチズムに固有のものではないことを明らかにしたうえで、ナチスの優生政策の展開を跡づけた。ナチズムを単に「狂気の時代」と切り捨てるのでなく、ナチズムをパラダイム論の視点からとらえ直し、逆にナチスの論理が一貫して過度に合理主義的に進められたがゆえの悲劇という視点を提出し、ナチズムを超医療管理国家、健康が義務である社会として批判的に描いた。

 1980年代末から、地球環境問題、とくに地球温暖化問題について取り組み始め、『地球環境問題とは何か』(1994)では、コンピュータ・シミュレーションを用いた新たな科学研究が地球環境問題という政治的課題をつくりだす構造をえぐり出し、地球環境問題の主題化の過程を冷戦終結後の国際政治の枠組みの転換過程に重ねて読み解いている。科学と政治が分かちがたく結びついている局面について、地球温暖化問題だけでなく、オウム真理教事件、阪神・淡路大震災、ヒトゲノム解析計画、クローン技術なども対象にした論集『知政学のすすめ』(1998)を刊行し、吉野作造(よしのさくぞう)賞を受賞している。

 2002年(平成14)三菱化学生命科学研究所の科学技術文明部が独立して、科学技術文明研究所が設立され、所長に就任する。日本社会では政策立案作業が中央省庁に集中し、独占されている状態をよしとするイデオロギーが根強くあることを「構造化されたパターナリズム」と名指して、著書において繰り返し批判していたが、同研究所は生命倫理、科学技術政策、科学技術と国際関係などについてのシンクタンクとして、対抗的政策提言を志向した。同研究所は2007年3月解散。同年7月東京大学先端科学技術研究センター特任教授に就任した。

[柿原泰]

『米本昌平著『遺伝管理社会――ナチスと近未来』(1989・弘文堂)』『米本昌平著『知政学のすすめ――科学技術文明の読みとき』(1998・中央公論社)』『米本昌平著『独学の時代――新しい知の地平を求めて』(2002・NTT出版)』『米本昌平著『バイオエシックス』(講談社現代新書)』『米本昌平著『先端医療革命――その技術・思想・制度』(中公新書)』『米本昌平著『地球環境問題とは何か』(岩波新書)』『米本昌平・松原洋子・橳島次郎・市野川容孝著『優生学と人間社会――生命科学の世紀はどこへ向かうのか』(講談社現代新書)』『米本昌平著『バイオポリティクス――人体を管理するとはどういうことか』(中公新書)』

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