籀文(読み)ちゅうぶん(英語表記)zhòu wén

精選版 日本国語大辞典 「籀文」の意味・読み・例文・類語

ちゅう‐ぶん チウ‥【籀文】

〘名〙 漢字書体一つ中国西周宣王の太史籀が作ったとされる。字画が複雑で飾りが多いのが特徴篆文(てんぶん)前身。また、篆文を小篆というのに対して大篆ともいう。籀。籀篆籀書。〔名語記(1275)〕 〔学古編〕

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報

デジタル大辞泉 「籀文」の意味・読み・例文・類語

ちゅう‐ぶん〔チウ‐〕【×籀文】

大篆だいてん

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

改訂新版 世界大百科事典 「籀文」の意味・わかりやすい解説

籀文 (ちゅうぶん)
zhòu wén

漢字の字体の一つ。《史籀篇》(佚書)の冒頭一節〈太史籀書〉を〈太史籀の書〉と訓(よ)み,籀を周宣王に仕えた太史(史官)の名と考えたことによる命名であるが,籀とは〈諷誦(そらよみ)する〉という動詞にすぎないという説も有力である。許慎の《説文解字》に別体としてあげられており,段玉裁は大篆(だいてん)のことを指すという。いっぽう王国維は,秦の石鼓文(せつこぶん)と字体が似ることから,戦国期に秦国で用いられた字体であり,東方六国の古文に対するものであると推定している。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

百科事典マイペディア 「籀文」の意味・わかりやすい解説

籀文【ちゅうぶん】

漢字書体の一つ。石鼓(せっこ)文の字体によく似ており,西周の金文から派生して戦国時代に秦で用いられたという。これを簡略化した小篆(しょうてん)(篆書)に対し,大篆ともいわれる。
→関連項目篆刻

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

普及版 字通 「籀文」の読み・字形・画数・意味

【籀文】ちゆうぶん

籀書。

字通「籀」の項目を見る

出典 平凡社「普及版 字通」普及版 字通について 情報

世界大百科事典(旧版)内の籀文の言及

【漢字】より

…やがて西方に秦が興起してくると,金文の系統を引く字体が現れ,これは石鼓文(せつこぶん)によって今日に伝えられている。《説文解字》に記されている籀文(ちゆうぶん)もこの系統であるといわれる。籀文はまた大篆(だいてん)という。…

【八体】より

…たとえば,欧陽詢(おうようじゆん)を評して〈八体ことごとく能(よ)くす〉などの例がある。その細目については,とくに記述はないが,彼のあげる十体書の目の中から,古文と大篆を除いた籀文(ちゆうぶん),小篆,八分(はつぷん),隷書,章草,行書,飛白(ひはく),草書の八体を指すようである。籀文は石鼓文に見える書体。…

【略字】より

…したがって古代の中国人たとえば《説文解字》の著者許慎なども,はじめに作られた文字は画数の多い〈古文〉であったが,のち文字によっては簡略化され,筆画の少なくなったものが出て来て〈古文〉とは形がちがってくる。それが〈大篆(だいてん)〉あるいは〈籀文(ちゆうぶん)〉であり,日常業務の要求から簡略化が進み〈籀文〉からさえも離れてきたとき,それが〈小篆〉になった,と考えたのである。 許慎の考えたこの道すじは必ずしもそのまま歴史事実ではなく,むしろ後代の文字が前代の文字に比べ機能の分化その他さまざまの理由から,かえって煩瑣(はんさ)の度を加える場合もあり,〈古文〉〈籀文〉などはかえって後代発生の文字だという王国維の考えもあることを考えて,さきにも〈概していえば〉という表現を用いることが適当だと考えたのである。…

※「籀文」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

青天の霹靂

《陸游「九月四日鶏未鳴起作」から。晴れ渡った空に突然起こる雷の意》急に起きる変動・大事件。また、突然うけた衝撃。[補説]「晴天の霹靂」と書くのは誤り。[類語]突発的・発作的・反射的・突然・ひょっこり・...

青天の霹靂の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android