簗田氏(読み)やなだうじ

改訂新版 世界大百科事典 「簗田氏」の意味・わかりやすい解説

簗田氏 (やなだうじ)

下野出身の中・近世武家。平良衡の曾孫家助が下野国簗田郡に住し,その孫氏助が簗田勘解由左衛門尉を称したのが始まりと伝える。足利氏の下級被官で,室町幕府の成立後は代々鎌倉公方に仕え,満助の娘は4代鎌倉公方足利持氏の子成氏を生む。永享の乱(1438)で持氏は滅ぶが,1449年(宝徳1)成氏が鎌倉公方に迎えられ,簗田氏はこれに再び仕えた。関東管領上杉氏,幕府と対立して成氏が下総国葛飾郡古河に移ると(古河公方),満助の子持助は同郡関宿城に拠って成氏を助けた。その孫高助は古河公方足利成氏・高基父子の抗争の際に,高基を支持して古河公方家重臣中の筆頭となるに至った。しかし古河公方家にも小田原北条氏の勢力が及び,簗田氏は北条氏に対抗した。高助の子晴助は長尾景虎と結び,従兄弟足利藤氏を古河公方に擁立しようとして失敗。子持助は1574年(天正2)関宿城を小田原北条氏に攻撃されて屈伏小田原征伐(1590)後,その子孫は徳川氏に仕えた。
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報