篠脇城(読み)しのわきじょう

日本の城がわかる事典 「篠脇城」の解説

しのわきじょう【篠脇城】

岐阜県郡上市にあった山城(やまじろ)。同県指定史跡。栗巣川左岸の篠脇山山頂に築かれ、奥美濃の名族・東(とう)氏が 8代・約230年間にわたって居城とした城である。東氏初代の胤行の晩年築城が始まり、第4代の氏村の代(14世紀前半)に城がほぼ完成し、居城を移したといわれる(『大和村史』)。『鎌倉大草紙』によると、1468年(応仁2)、歌人としても知られる関東在陣中の城主の東常縁(とうのつねより)は、篠脇城が斎藤妙椿によって落城したことを知った。この時、常縁が詠んだ歌が妙椿に伝わり、妙椿は歌10首と引き換えに城を返還したという。また、宗祇が文明年間(1469~85年)の初めに篠脇城で常縁から古今伝授を受けたという。1540年(天文9)、越前の朝倉氏が篠脇城に攻め寄せたが、城主の東常慶はこれを撃退し、その翌年、常慶は八幡(同市八幡町)の赤木山に新たな城を築いて居城を移したことから、篠脇城は廃城になった。麓の篠脇山の山頂に至る登山道入り口付近に表門跡と記された礎石がある。これは山麓にあった東氏の館のものである。山頂には3段の平場があるが、その最上段が本丸跡と推定されている。また、この城には取り囲むように、臼の目堀ともよばれる30以上のの竪堀が麓に向かって走る独特の縄張りを持っていた。そのうち、麓に達する2本の臼の目堀の遺構が残っている。また、山頂近くの二の丸と推定される場所西北湧水があるが、かつてはこの湧水が篠脇城の飲料水をまかなっていたと考えられている。長良川鉄道越美南線徳永駅から徒歩約30分(約2km)。

出典 講談社日本の城がわかる事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の篠脇城の言及

【大和[町]】より

…中世は山田荘に含まれ,1221年(承久3)下総国千葉氏の一族東(とう)氏が新補地頭に任命され,以後1559年(永禄2)遠藤氏に滅ぼされるまで東氏の支配下にあった。東氏は代々歌道の秘伝を伝え,室町時代には東常縁(とうのつねより)が居城の篠脇(ささわき)城で宗祇に古今伝受をしている。江戸時代は村は郡上藩に属した。…

※「篠脇城」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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