節分(暦)(読み)せつぶん

日本大百科全書(ニッポニカ) 「節分(暦)」の意味・わかりやすい解説

節分(暦)
せつぶん

季節の変わり目。立春立夏立秋立冬の前日。とくに立春の前日が重んじられている。現行暦では2月3日または4日。節分は太陽の運行を基準にして設けられているから、旧暦太陰太陽暦)の時代には期日が一定せず、大みそかより前になることがあり、「年の内に春は来にけり」という場面があった。そのため節分行事のなかには、正月行事から移行したり混同したりしたものもあり、節分固有の行事を判定することが困難である。そのうえに、節分を1年の境とする陰陽道(おんみょうどう)の考え方が入り、正月との区別はいよいよ明確でなくなった。節分の夜に若者たちが村氏神に集まってお籠(こも)りをするのも、年越しの物忌みを表すのであろう。

 宮崎県の一部では、節分の夕方から屋外の器具をみな取り入れ、厳重な物忌みをする。もし物を外に置き忘れると、厄神(やくじん)がきて焼き印を押していくという。静岡県では、節分の夜に餅(もち)を搗(つ)き、戸袋のところに上げたあと、家中の明かりを消してしばらく無言でいる。東北地方では、窓ふさぎとか戸ばさみ餅とかいって、イワシや切り餅を串(くし)に刺して戸や窓の口に挟むことが広く行われている。イワシの頭を焼いてヒイラギ小枝に刺し、戸口や軒に刺すことは、東京の郊外ではいまもみることができ、広く行われている。追儺(ついな)(鬼やらい)は節分行事として著名であるが、これが節分に行われるようになったのは室町時代以後のことで、鎌倉時代末ごろまでは宮中の追儺行事は大みそかに行われていた。追儺には、仮装した鬼を追う芸能形式のものと、枡(ます)に入れた炒(い)り大豆を撒(ま)く形とがあり、前者寺院の修正会(しゅしょうえ)と結び付いたものが多い。一般の民家では、戸主(世帯主)が年男になって、「福は内、鬼は外」などと唱えながら一升枡に入れた豆を屋内に撒く。それを自分の年齢の数だけ拾って食べるものだといったり、12粒をいろりの灰に並べ、焼けぐあいで1年各月の天候などを占う豆占(まめうら)もよく知られた行事である。

[井之口章次]

気象

日本では平均して節分の前後に1年の最低気温が表れる。およその傾向としては、北日本や日本海側の各地で1月末、西日本や本州の太平洋側では2月に入ってから最低気温が表れることが多い。このころは冬至よりは春の彼岸近く、日中の時間の長さや太陽高度からみると、真冬からはほど遠い光の春が訪れているころでもある。またこのころから、本州の太平洋側でも雪が降りやすい。

[根本順吉]


出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

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