箱館奉行(読み)はこだてぶぎょう

精選版 日本国語大辞典 「箱館奉行」の意味・読み・例文・類語

はこだて‐ぶぎょう ‥ブギャウ【箱館奉行】

〘名〙 江戸幕府の遠国(おんごく)奉行の一つ。定員二名(時に三~四名)。役高二千石。蝦夷奉行の後を受け、享和二年(一八〇二)五月創置、文化四年(一八〇七)一〇月廃止。のち、嘉永七年(一八五四)六月再設、明治元年一八六八)に廃された。蝦夷地行政をつかさどり、辺境防備にあたった。

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デジタル大辞泉 「箱館奉行」の意味・読み・例文・類語

はこだて‐ぶぎょう〔‐ブギヤウ〕【箱館奉行】

江戸幕府の職名。遠国奉行の一。老中に属し、蝦夷えぞの行政を管掌し辺境防備に当たった。享和2年(1802)創設。のち、改廃を経て慶応4年(1868)まで存続。

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改訂新版 世界大百科事典 「箱館奉行」の意味・わかりやすい解説

箱館奉行 (はこだてぶぎょう)

江戸幕府の遠国奉行の一つ。老中支配。定員2名(うち3名),役料1500俵,席次は長崎奉行の次で芙蓉間詰。幕府は,1799年(寛政11)蝦夷地御用掛を置いて東蝦夷地を仮上知し,1802年(享和2)永久上知として蝦夷地御用掛を蝦夷奉行,ついで箱館奉行と改め,蝦夷地(北海道)の本格的な経営に着手した。07年(文化4)松前氏を陸奥国梁川に移封するとともに,奉行所を松前に移して松前奉行と改めた。最初の奉行は戸川安諭(やすのぶ),羽太正養(はぶとまさやす)。

 幕府は,蝦夷地支配の眼目をアイヌの〈懐柔・撫育〉にありとして,アイヌ交易の是正,風俗の同化,さらには教化を目的とした蝦夷三官寺(国泰寺等澍院善光寺)の建立などの政策を断行したが,蝦夷地支配の本来的な目的は,ロシアの南下に対する対応と蝦夷地収益の2点にあり,アイヌに対する政策も親露化の防止という観念から行われたものであった。また,蝦夷地の警備は弘前,盛岡2藩に命じ,非常時には秋田,庄内,仙台,会津諸藩にも出兵を命じた。経営にあたっては,従来の場所請負制度を廃止し,高田屋嘉兵衛,伊達林右衛門,栖原角兵衛などの新興ないし江戸系商人を起用して直捌(直営)を行い,箱館と江戸に会所を設置して蝦夷地産物流通の円滑化をはかった。択捉(えとろふ)島の開発が行われたのもこの時期である。しかし,1807年以降はしだいに消極策に変化し,12年場所請負制の復活を契機に財政的には松前藩政と同様,場所請負人の運上金や沖の口収益に依拠した政策へ転換し,21年(文政4)の松前氏の復領により松前奉行を廃止した。

 その後,神奈川条約により箱館開港となると,54年(安政1)幕府は箱館および近郊5~6里の地を上知し,再び箱館奉行を設置し,翌年2月松前藩に東部木古内村以東および西部乙部村以北の地を返上させてその管轄とした。奉行所は松前藩の箱館役所を利用し,64年(元治1)五稜郭に移転した。在職者は竹内保徳,堀利煕はじめ13名で,1858年外国奉行設置後は兼務ないしは転出した者が多い。67年(慶応3)足高(たしだか)料を廃止し,持高となり役金4000両となった。この期の政策の中心は蝦夷地の警備と開拓にあり,警備は前期と同様東北諸藩に分担させたが,59年以降は東北6藩に分領支配を命じ,諸藩による蝦夷地経営と密着した形で進めた。経済的には松前藩政下の役金体制を踏襲したものの,従来松前藩で禁止していた大網の使用を許可し(1855),さらに山越内番所の廃止や出稼人に対する諸規制を緩和するなど,漁業生産力の上昇をはかり,かつ蝦夷地への和人定住を促進した。また,水田稲作奨励石炭,金,銀,銅,鉄など鉱山の開発に力を注ぐなど漁業以外の諸産業の発展をうながし,1857年には箱館産物会所を設置して蝦夷地産物の流通統制を行い,生産・流通両面からの積極的な掌握を試みている。さらに,白糠,茅沼炭坑での罪人使役,久遠場所臼別への人足寄場の設置と罪人の漁場での使役など,この期の蝦夷地政策は前期と著しく趣を異にし,むしろ多くの点で明治以降開拓使によって実施された諸政策と類似していたところに大きな特徴がみられた。1868年(明治1)箱館裁判所の設置により箱館奉行は廃止された。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「箱館奉行」の意味・わかりやすい解説

箱館奉行
はこだてぶぎょう

江戸幕府遠国(おんごく)奉行の一つ。老中の下に属し、蝦夷(えぞ)地行政をつかさどった。奉行所を箱館(北海道函館(はこだて)市)に置き、前後二期にわたって設けられ、蝦夷地の経営・開発や警固をはじめ、和人地の民生、あるいは後期の場合には開港場箱館にかかわる通商・外交なども管掌した。

[小林真人]

前期(1802~07)

幕府は仮上知(かりあげち)していた東蝦夷地を永久に直轄地にするにあたって、1802年(享和2)2月、従来の蝦夷地御用掛を廃して蝦夷地奉行を設け、同年5月10日これを箱館奉行と改称した。その後、幕府が松前(まつまえ)・蝦夷地全域を直轄することになったのに伴い、1807年(文化4)10月24日、奉行所の松前移転と松前奉行への改称が命じられた。松前奉行は松前藩が松前・蝦夷地に復領する1821年(文政4)まで存続した。

[小林真人]

後期(1854~68)

箱館開港に対処するため1854年(安政1)6月30日設置。翌年には松前・蝦夷地の大部分、木古内(きこない)以東、乙部(おとべ)以西が幕領となり、箱館奉行の管轄に入った。その後、1864年(元治1)に乙部以西熊石(くまいし)(八雲町)まで八か村が松前藩に還付されたが、1868年(慶応4)4月12日に維新政府により箱館裁判所が置かれるまで存続した。

[小林真人]

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百科事典マイペディア 「箱館奉行」の意味・わかりやすい解説

箱館奉行【はこだてぶぎょう】

江戸時代の遠国(おんごく)奉行の一つ。1798年創設の蝦夷(えぞ)地御取締御用掛を継ぎ,1802年に箱館奉行と改称。1807年松前(まつまえ)に移り松前奉行と改称,国境の警備,アイヌの懐柔・撫育政策を軸とした蝦夷地の本格的経営を目指したが,1821年廃止。1854年日米和親条約による箱館開港後再置。欧米諸国との応接,蝦夷地の警備と開拓にあたった。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「箱館奉行」の意味・わかりやすい解説

箱館奉行
はこだてぶぎょう

江戸時代後期の幕府官職。遠国奉行の一つ。老中の管轄下にあり,蝦夷 (えぞ) 地の行政を司った。初めは蝦夷奉行として享和2 (1802) 年2月設置。次いで箱館奉行と改称。のち松前奉行となり,文政4 (21) 年一時廃止されたが,嘉永7 (54) 年6月箱館奉行を再置して開港場を管轄させた。明治になって,維新政府の函館裁判所となった。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「箱館奉行」の解説

箱館奉行
はこだてぶぎょう

江戸幕府の遠国奉行の一つ。老中支配。幕府は1798年(寛政10)蝦夷地取締御用掛をおき,翌年東蝦夷地を仮上知(あげち)した。1802年(享和2)2月東蝦夷地全域を永久上知して蝦夷地奉行を新設,同年5月箱館奉行と改称。ロシア南下への対応と蝦夷地収益を主務とした。07年(文化4)松前奉行と改称し,22年(文政5)廃止。54年(安政元)箱館開港決定により再置。奉行所は64年(元治元)五稜郭に移転。職務は蝦夷地警備と開拓。68年(明治元)4月箱館裁判所の設置により廃止。

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旺文社日本史事典 三訂版 「箱館奉行」の解説

箱館奉行
はこだてぶぎょう

江戸幕府の職名。箱館に置かれた遠国 (おんごく) 奉行
1802年2月,蝦夷 (えぞ) 地奉行が設置され,同年5月箱館奉行と改称('07年松前奉行と改称)。老中の支配に属し,蝦夷地の防備などをつかさどった。'22年廃止。'54年再び設置され,明治維新後,箱館裁判所設置('68年)まで存続した。

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