日本大百科全書(ニッポニカ) 「筆」の意味・わかりやすい解説
筆
ふで
文字や絵をかく道具で、一般には穂に獣毛を用いる。筆記具としての筆は、鉛筆、万年筆などもあるため、とくに毛筆とよぶことも多い。また「花の木」の異称もある。
[植村和堂]
歴史
毛筆の創始は文献上では中国の秦(しん)(前221~前206)の蒙恬(もうてん)将軍とされ、その功績により管城(かんじょう)に任ぜられたことから、筆には「管城」の異名が伝えられるほどであるが、1954年に中国湖南省長沙(ちょうさ)市左家公山の第15号墓から発掘された竹製の行李(こうり)のなかに、天秤(てんびん)、竹簡(ちくかん)、銅刀などとともに、筆筒に入れた筆が発見された。この墓は秦に滅ぼされた楚(そ)の国の墓であるところから、この兎毫(とごう)(兎(うさぎ)の毛)の「長沙(ちょうさ)筆」が現在判明している最古のものといわれる。蒙恬将軍の筆に近い形とみられるものに「居延(きょえん)筆」がある。これは1930~1931年に西北科学考査団がエチナ川上流の居延地区(内モンゴル自治区)で多くの木簡とともに発掘したもので、木簡から推定して紀元前80~前75年ごろと考えられる。また1932年には漢代(前2~後3世紀)の楽浪(らくろう)の遺跡、貞柏里(ていはくり)121号木槨(もっかく)古墳からも毛筆が出土している。長沙筆は管の長さ約16.6センチメートル、直径約0.6センチメートル、鋒(ほう)の長さ約2.5センチメートル、居延筆は木軸を四つ割りにした一端に穂を挿し込んで麻糸で縛り、根元を漆で固めてあり、管の長さ約21センチメートル、直径約0.7センチメートル、鋒の長さ約1.4センチメートルで、剛毛の芯(しん)の周囲に羊毛らしい上被がかけられている。「楽浪筆」は時代も製法も居延筆に近い。
遺品からみた筆の歴史は以上のとおりであるが、殷(いん)代(前16~前13世紀)の亀甲(きっこう)獣骨文とともに発掘された白色土器に、毛筆でなければ描けないと思われる文様があったり、甲骨文のなかには銅刀で文字を刻み込む前に毛筆で下書きしたと思われるものもある。またさらに古い新石器時代末期の竜山(りゅうざん)期や仰韶(ぎょうしょう)期の彩陶の文様も筆で描かれたと推定され、これによれば毛筆の起源は前2500年以前にまでさかのぼることになる。
日本の筆は中国、朝鮮から伝えられ、5世紀ごろにはすでに使われていたものと推察される(『日本書紀』に4世紀末来朝の百済(くだら)の王仁(わに)が『論語』10巻、『千字文』1巻を進貢したとみえる)が、7世紀初頭、高麗僧により紙墨の製法がもたらされていることから、製筆法もほぼ同じころ招来されたものと思われる。
[植村和堂]
種類
大きさから分けると「大筆(おおふで)」「中筆(ちゅうふで)」「小筆(こふで)(細筆(ほそふで))」となる。大筆のなかには「提斗(ていと)筆」とよばれる超大筆もある。穂の形からは「長鋒(ちょうほう)筆」「短鋒筆」「面相(めんそう)筆」「雀頭(じゃくとう)筆」(雀(すずめ)の頭のような形の短鋒の筆)、「柳葉(やなぎば)筆」「捌(さば)き筆」「水筆(すいひつ)」などの別があり、また穂先の素材によって「毛筆」「藁筆(わらふで)」「草(くさ)筆」「木筆」「槿(むくげ)筆」などに分けられる。毛筆に使われる獣毛は兎、狸(たぬき)、鹿(しか)、羊、馬などが普通だが、猫、鼬(いたち)、貂(てん)、鼠(ねずみ)、狼(おおかみ)、栗鼠(りす)、狐(きつね)、猿、水牛、熊(くま)、豚、馴鹿(となかい)なども使われ、ときには胎髪筆もある。兎の毛は紫毫(しごう)ともよばれて、非常に古くから文献にみえる。また「兼毫(けんごう)」というのは2種以上の原毛を混ぜ合わせたもののことで、七紫三羊、五紫五羊などは兎の毛と羊の毛を混用した例であるが、現在の日本ではほとんど得られず、もっぱら中国でつくられる。獣毛は冬毛が珍重されるが、鹿毛だけは夏毛も喜ばれている。変わったところでは、王羲之(おうぎし)が『蘭亭序(らんていじょ)』を書くのに鼠のひげを集めた鼠鬚筆(そしゅひつ)を使ったという伝説がある。
[植村和堂]
製法
製法上からは、穂先をふのりで固めた「水筆」、固めずにばらばらのままにした「捌き筆」、古い形態として心柱(しんちゅう)を紙で巻いた上に上毛(うわげ)をかけた「巻筆(まきふで)」に大別される。水筆を例に製法の概要を述べると、まず原毛の癖直し、脱脂のあと、「毛拵(けごしら)え」した毛を手板(ていた)でそろえ、「水固め」をして命毛(いのちげ)(穂の芯になる長い毛)を出す。その周りに薄く毛を巻き「のどづけ」をして心柱をつくる。心柱の上に畑毛(はたげ)を添えて「真立(しんた)て」をしたものに「上毛かけ」をして「苧締(おじ)め」をし、軸に「すげ込み」をする。軸の「面取り」「くり込み」をし、漆や接着剤などで穂をすげ、さらにふのり、みょうばんの液中に浸して絞る。そのうえで軸に銘を彫り、鞘(さや)をして仕上げとなる。
新しい筆を下ろすときは、形を整えるためにつけたふのりは洗い落とさなければならない。また筆の良否を見分けるのには、尖(せん)(穂先が鋭くて乱れのないこと)、斉(せい)(穂先を広げたときにきれいにそろっていること)、円(えん)(穂に水や墨を含ませたとき円満な姿であること)、健(けん)(充実した線が破綻(はたん)なく書けること)の4条件を参考にするとよい。さらに、保存するときは、穂の虫害を防ぐため防虫剤を用いることが望ましい。
[植村和堂]
絵画用の筆
絵筆の歴史はほとんど絵画の起源と同時代にまでさかのぼるが、木の枝や草の茎をささら状にしたものが原型と考えられ、古代エジプトでは葦(あし)の繊維をほぐして束ねたものが使用されていた。今日のような獣毛も、おそらく先史時代から利用されていたものと推測される。中国や日本では書の筆も絵筆もほとんどが毛筆であるが、西洋では、絵画用の毛筆と筆記用の硬筆(ペン)とは、はっきり分かれて発達した。
[長谷川三郎]
西洋画の筆
大別して豚毛の剛毛筆と貂(てん)、鼬(いたち)に代表される柔毛筆があり、今日ではナイロン製の剛毛筆もある。獣毛は毛先の形をそのまま生かして筆の穂先にし、古くは鳥の羽根の羽管(軸)が毛をまとめる口金がわりに使われたが、いまでは貂などの高級で小さな特殊なもの以外は、ほとんど金属製である。大きさは通常0(ゼロ)号から12号まであるが、ごく細いものや幅広のもの、あるいは穂先の長いものもある。
〔1〕豚毛の剛毛筆 豚の背毛の一部を用いてつくられた油彩用のもっとも標準的な筆。19世紀中葉まではほとんど丸筆だけであったが、今日では大別して次の4種の型の筆がつくられている。(1)伝統的な丸筆、(2)平筆(長さが幅の2.5倍)、(3)ブライト型(平筆の一種で、通常の平筆より穂先が短く、毛が薄くて剛(こわ)い)、(4)フィルバート型(丸筆を平たくした形)。
〔2〕柔毛の筆 柔らかくしなやかな獣毛製の筆は、水彩画やテンペラ画のみならず、古典的な油彩画にも用いられた。なかでもコリンスキーとよばれる最高級品は、シベリア産の赤貂(レッド・セーブル)の毛だけでできており、腰の強さと弾力(復原力)の兼ね合いに優れ、穂先が繊細で鋭いという特徴がある。これは、中間で太くなり、先端で鋭くとがっている独特の毛の形によって生ずる効果である。ほかに白鼬、穴熊(あなぐま)、栗鼠(りす)(「らくだ毛」とよばれているものは栗鼠の尾の毛)などの毛も使われている。また牛の耳からとる牛毛は、セーブルより剛くて弾力に富み、セーブルと混ぜて水彩筆用に使われる。
〔3〕ナイロン筆 アクリル絵の具などのポリマー樹脂絵の具のためにつくられたナイロン製の剛毛筆。アクリル絵の具は速乾性なので、水に浸して筆の凝固を防がなければならないため、水に強い材料でつくる必要がある。
[長谷川三郎]
日本画の筆
江戸末期ごろまでは書の筆ととくに異ならなかったが、明治になって西洋絵画技法の影響と、新しい日本画の復興運動からさまざまな絵筆が考案された。材料には山羊、鹿、兎、鼬、貂、狸などが使われ、それぞれの毛の性質を生かし、各種組み合わせることで用にかなった筆がつくられ、用途別の名称がある。(1)付立(つけたて)筆 線描、没骨(もっこつ)のいずれにも使える便利な筆。(2)線描筆 細太、曲直のいずれも自在に引けるようくふうされたもっとも日本的な筆。(3)面相(めんそう)筆 特別に細い線を引くためのもの。(4)彩色筆 彩色用のほか幅広く役だち、鹿毛(かもう)と羊毛の混合が多い。以上は穂先のとがった筆で、ほかに先の平らなものとして、(5)隅取(くまどり)筆、(6)平(ひら)筆、(7)連筆(れんぴつ)、(8)刷毛(はけ)などがある。
[長谷川三郎]
『榊莫山著『文房四宝 筆の話』(1981・角川書店)』▽『木村陽山著『筆』(1975・大学堂書店)』