第二半インターナショナル(読み)だいにはんインターナショナル

百科事典マイペディア の解説

第二半インターナショナル【だいにはんインターナショナル】

ウィーン・インターナショナルとも。1921年結成された国際社会主義党行動同盟通称第二インターナショナルコミンテルン鼎立(ていりつ)し,ドイツ独立社会民主党など中道派の西欧諸国社会主義政党が連合。1923年第二インターナショナルと合同
→関連項目インターナショナル(政治)

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世界大百科事典(旧版)内の第二半インターナショナルの言及

【インターナショナル】より

…ボリシェビキに批判的な人びとは,イギリス労働党の主導権のもと,大戦中の敵対関係を克服すべく,19年2月,ベルンに会議を開いた。両者の橋渡しを目ざした,アードラーFriedrich Adler(1879‐1960)(オーストリア)らのウィーン・インターナショナル(第二半インターナショナル)の試みは成功せず,第二と第二半インターナショナルは,23年ハンブルクで合同大会を開き,ここに〈社会主義労働者インターナショナル〉が成立し,コミンテルンと競合,対立することになった。コミンテルン【西川 正雄】。…

【オーストリア・マルクス主義】より

…オーストリア・マルクス主義者は,十一月革命のなかで,プロレタリアートによる政治権力の奪取のための闘争を事実上放棄し,ブルジョアジーとの連合政権の道を選んだ。バウアーによって〈労働運動統一のイデオロギー〉と規定されたオーストリア・マルクス主義は,第1次大戦後の国際社会主義運動の分野では,第二半インターナショナルを創設し,第3の道を志向するが,この調停主義的な道は,やがて第二インターナショナルとの思想的・組織的合同によって挫折する。ボリシェビズムと改良主義の間をゆれ動いたオーストリア・マルクス主義の調停主義的・改良主義的姿勢は,第2次大戦前のファシズム台頭のなかで,労働者階級の統一,国際労働運動の統一を推進する真の力とはなりえなかった。…

※「第二半インターナショナル」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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