竺法蘭(読み)ジクホウラン

デジタル大辞泉 「竺法蘭」の意味・読み・例文・類語

じく‐ほうらん〔ヂクホフラン〕【竺法蘭】

中国に初めて仏教を伝えたといわれるインドからの渡来僧。後漢明帝の時、洛陽白馬寺に住し、四十二章経などを漢訳した。生没年未詳。

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

精選版 日本国語大辞典 「竺法蘭」の意味・読み・例文・類語

じく‐ほうらん ヂクホフラン【竺法蘭】

中国後漢、一世紀後半の僧侶。明帝の時、迦葉摩騰(かしょうまとう)とともに招かれて洛陽に至り、多数経典を漢訳して、初めて中国に仏教を伝えたといわれる。生没年未詳。

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「竺法蘭」の意味・わかりやすい解説

竺法蘭
じくほうらん

生没年不詳。1世紀ころ、中国に仏教を伝えた最初のインド僧(伝説)。サンスクリット名はダルマラクシャDharma-raka。中インドの僧で、経論を誦(じゅ)すること数万章に及び、インド学者の師であった。67年(永平10)後漢(ごかん)、明帝(めいてい)のとき迦葉摩騰(かしょうまとう)とともに洛陽(らくよう)に至り、白馬(はくば)寺に住し、『四十二章経(しじゅうにしょうぎょう)』など5部を訳し、60余歳で寂した。5世紀ころから、仏教を伝えた最初の僧という伝説が定まった。

柴田 泰 2016年12月12日]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

改訂新版 世界大百科事典 「竺法蘭」の意味・わかりやすい解説

竺法蘭 (じくほうらん)
Zhú fǎ lán

中国,後漢時代の仏教伝来期の伝説上のインド僧。インド仏教の中国伝来を権威づけるものとして後漢の明帝永平8年(65)の感夢求法説話は,後漢末年のころにはすでに《四十二章経序》,牟子《理惑論》などにおいて伝えられはじめられていた。南朝梁の僧祐《出三蔵記集》巻二において〈張騫,秦景が竺摩騰に遇って四十二章経を訳写した〉という話が付伝され,つづいて梁の宝唱《名僧伝》巻一と慧皎高僧伝》巻一,訳経篇の冒頭において(迦)摂摩騰と竺法蘭の両伝が立てられ,彼らが《四十二章経》などを翻訳したことが付加されるにいたった。《高僧伝》によれば,竺法蘭は,中天竺の人,経論数万章を暗誦すると自称した。明帝の使者蔡愔の依頼によって67年に(迦)摂摩騰とともに洛陽に来て,《十住断経経》《四十二章》など5部の経典を翻訳した,という。けだし〈初めて東土を化した伝法宣教〉者として説話化された訳経者の典型である。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「竺法蘭」の意味・わかりやすい解説

竺法蘭
じくほうらん
Zhu-fa-lan

中国,後漢の訳経家で,中国に仏教を伝えた最初の僧といわれる。明帝の永平 10 (67) 年にインド北方の月氏国から迦葉摩騰とともに仏法弘通のために中国に来た。明帝は洛陽に白馬寺を創建して住わせた。『四十二章経』『仏本行集経』など5部の経典を訳出

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

今日のキーワード

焦土作戦

敵対的買収に対する防衛策のひとつ。買収対象となった企業が、重要な資産や事業部門を手放し、買収者にとっての成果を事前に減じ、魅力を失わせる方法である。侵入してきた外敵に武器や食料を与えないように、事前に...

焦土作戦の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android