竹野浦(読み)たけのうら

日本歴史地名大系 「竹野浦」の解説

竹野浦
たけのうら

[現在地名]米水津村竹野浦

浦代うらしろ浦の西、米水津湾の北岸、鶴見つるみ半島の基部南岸に位置。竹浦・竹之浦とも記す。慶長(一五九六―一六一五)頃までは広義に竹野浦組一六ヵ浦の総称。のち下浦しもうら村に含まれた。天正一六年(一五八八)一二月二六日には「佐伯竹之浦」の御手洗左京の代参人が伊勢神宮に参詣している(「参宮帳写」後藤作四郎文書)。慶長六年の竹野浦組差出帳(佐伯藩政史料)によれば、「竹ノ浦」の高七石余(畑のみ)で、名請人として玄蕃がみえる。竹野浦組には当浦と浦代浦・色利いろり浦、畑野はたの浦・竹野浦河内たけのうらごうち西野にしの浦・蒲江かまえ浦・河内かわち浦・猪串いのくし浦・つぼの浦・野々河内ののかわち浦・丸市尾まるいちび浦・波当津はとうづ浦・葛原かずらはら浦・ふかじろ・ふすめき(現蒲江町)が所属していた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報