精選版 日本国語大辞典 「竹林寺」の意味・読み・例文・類語
ちくりん‐じ【竹林寺】
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行基の開基と伝え、行基が文殊菩薩の化身とされていたことから、文殊の霊場である五台山の大聖竹林寺にならって大聖竹林寺とよぶ。本尊文殊菩薩。本堂の東側には行基墓があり、国指定史跡。墓の上に永正一五年(一五一八)銘の地蔵石仏がある。「行基菩薩伝」に「爰慶雲二年、引導生母女、在
凝然が嘉元三年(一三〇五)に著した「竹林寺略録」によると、天平二一年(七四九)行基は
「四国霊場記」に「当山ハ聖武天皇霊夢ノ事アリテ、行基ニ勅シテ山中ヲ検覧セシメ、神亀元年ニ堂舎ヲ草創シ、基公七日霊瑞ヲ祈リ給フニ、暁天一星几上落、公是ヲ収テ赤栴檀ヲ以テ五髻文殊ノ像ヲ作リ、彼落星ヲ像ノ眼精トス」とみえ、聖武天皇の勅願寺として行基が開創、本尊をも刻んだとする。竹林寺縁起(「南路志」所収)によるとその後、弘法大師が四国廻国の途次当地を訪れ、山が大小五つの峰よりなることから、五峰を五鈷に配し、その間にある三つの池を三鈷に配し、竹林寺の堂宇を補修、真言密教の霊場として整えた。
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高知市五台山にある真言宗智山派の寺。山号は五台山。金色院と号し,俗に土佐文殊と称する。行基が聖武天皇の命を受けて中国の五台山に似た地を探し,724年(神亀1)に一寺を創建したのが始まりと伝える。のち空海が中興したが,戦国期に荒廃し,慶長年間(1596-1615)に空鏡上人が再興した。近世には山内忠義をはじめ歴代土佐藩主の尊信を受け,1795年(寛政7)の末寺帳では脇坊6,末寺3,門徒寺38を数える。1808年(文化5)本堂(文殊堂)を除いて焼失したといい,本堂以外はその後の建築である。現在,禅宗の建築様式をとり入れた本堂をはじめ本尊の文殊菩薩座像など計19体の仏像が重要文化財に指定されている。書院前庭は池泉観賞式の名庭。四国八十八ヵ所の第31番札所で訪れる人が多い。
執筆者:竹貫 元勝
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高知市五台山にある真言(しんごん)宗智山(ちさん)派の寺。五台山金色院と号する。本尊は文殊菩薩(もんじゅぼさつ)。俗に土佐文殊の名で親しまれる。四国八十八か所第31番札所。寺伝では724年(神亀1)に行基(ぎょうき)が開創、大同(だいどう)年間(806~810)空海が再興し中興の祖となっている。寛永(かんえい)年間(1624~1644)山崎闇斎(あんさい)が『鐘楼記』で記しているように、当寺は静寂な地で、吸江(きゅうこう)湾を見下ろす風光明媚(めいび)な地である。本堂(室町時代、国の重要文化財)をはじめとする壮大な伽藍(がらん)がある。寺宝には木造文殊菩薩および侍者像五躯(く)、同阿弥陀如来(あみだにょらい)立像など国重要文化財の指定を受けている多くの彫刻がある。また境内には植物学の牧野富太郎(とみたろう)記念館がある。
[眞柴弘宗]
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