竹川竹斎(読み)たけがわ・ちくさい

朝日日本歴史人物事典 「竹川竹斎」の解説

竹川竹斎

没年:明治15.11.1(1882)
生年:文化6(1809)
幕末明治期の篤農家。伊勢国(三重県)飯野郡射和村の豪商。諱は政胖,通称新兵衛。江戸,大坂に両替店を持ち,御為替御用を勤めた。佐藤信淵から農政を学ぶ。天保飢饉の際は,私財を投じて用水溜池を構築し,茶桑,養蚕など殖産尽力した。万古焼陶器の生産を始め,外国貿易で輸出しようと大久保忠寛(一翁)らと交渉したが,不振に終わり,横浜で茶の輸出を行った。慶応2(1866)年勘定奉行小栗忠順に招致されて諮問を受け,外国米の輸入や海運について献言した。老中小笠原長行にも面会,幕府財政再建にその手腕を期待されたが,ほどなく幕府倒壊となった。勝海舟とも交友があった。射和文庫を建て郷里の教育にも尽力。

(針谷武志)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「竹川竹斎」の解説

竹川竹斎 たけがわ-ちくさい

1809-1882 江戸後期-明治時代の豪商。
文化6年5月25日生まれ。伊勢(いせ)(三重県)飯野郡射和(いざわ)村の人。家業両替商灌漑(かんがい)用池の築造,射和万古焼の製作など殖産興業につくす。土木,地理学に通じ,「海防護国論」をあらわした。射和文庫を創設。明治15年11月1日死去。74歳。名は政胖(まさやす)。字(あざな)は子広。通称は彦三郎。別号に緑麿。著作に「君々論」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

今日のキーワード

青天の霹靂

《陸游「九月四日鶏未鳴起作」から。晴れ渡った空に突然起こる雷の意》急に起きる変動・大事件。また、突然うけた衝撃。[補説]「晴天の霹靂」と書くのは誤り。[類語]突発的・発作的・反射的・突然・ひょっこり・...

青天の霹靂の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android