競馬(読み)けいば

精選版 日本国語大辞典 「競馬」の意味・読み・例文・類語

けい‐ば【競馬】

〘名〙
① 所定の区域間で、乗り手が馬を駆けさせて、勝ち負けをあらそうこと。神事や武術競技として行なわれた。くらべうま。こまくらべ。
※高野本平家(13C前)一「あらはれての御祈には百番の芝田楽、百番のひとつ物、競馬(ケイバ)、流鏑馬、相撲おのおの百番」
② 近代、馬をつかってする賭けの一種。騎馬を競走させて、その着順をあてるもの。あらかじめ勝馬投票券(馬券)を発売し、着順的中者には配当金が払い戻される。
※日新真事誌‐明治五年(1872)四月二日「今月二日より三日の間横浜において競馬を興行す」
※評判記・難波の㒵は伊勢の白粉(1683頃)二「はっかんの鳥籠(とりかご)、千本の蘭鉢、けいばの香箱、いがらし蒔絵の大書棚」
[語誌](1)京都賀茂神社の競馬神事は、平安時代に武徳殿で行なわれた様式を伝えるものとして、現代まで続いている。競馬香の見本となったように、二騎による勝負で、馬場末の標木(しるしぎ)に到達する遅速により、勝負を決める。これとは別に、十列(とおつら)と称する勝負がある。→十列(とおつら)
(2)現在行なわれている競馬は西洋式であり、文久元年(一八六一)横浜の洲干弁天社の西側の馬場で外国人有志により初めて行なわれたとされる。

くらべ‐うま【競馬】

〘名〙 (「くらべむま」とも表記)
① 馬場で馬を走らせて勝負を争う競技。古くは、二頭の馬を直線で走らせた。また一〇頭の馬を走らせることもあった。毎年五月五、六日の節会(せちえ)に、京都賀茂神社で行なわれたのが有名。きおいうま。きそいうま。こまくらべ。《季・夏》 〔十巻本和名抄(934頃)〕
※俳諧・太祇句選(1772‐77)夏「くらべ馬顔みへぬ迄誉にけり」
② 江戸時代、庶民の間で男性の性器の大小をくらべ合うこと。
※雑俳・柳多留‐一三五(1834)「釣べ銭もちゃげる下々のくらべ馬」

きおい‐うま きほひ‥【競馬】

〘名〙 競馬(けいば)。または、それに出場する馬。くらべうま。うまくらべ。きおい。《季・夏》
※夫木(1310頃)二七「きほひむまの鼓に我れを打ちこめて出だしもはてぬ世にこそ有りけれ〈源仲正〉」
[補注]俳句の季語としては、特に五月五日に京都で行なわれる賀茂競馬をいうことが多い。

きそい‐うま きそひ‥【競馬】

※至宝抄(1585)「中の夏〈略〉きそひ馬 競馬の事也」

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デジタル大辞泉 「競馬」の意味・読み・例文・類語

けい‐ば【競馬】

それぞれの馬に騎手が乗って所定の距離を一緒に走らせ、速さをきそわせるもの。現在は、勝ち馬・着順などを当てる賭けの対象として行われ、競馬法によって認可された団体が勝ち馬投票券(馬券)を発売し、的中者に配当金が支払われる。
くらべ馬」に同じ。
「御祈には百番の芝田楽、百番の一つ物、―、流鏑馬やぶさめ」〈平家・一〉
競馬香」の略。

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改訂新版 世界大百科事典 「競馬」の意味・わかりやすい解説

競馬 (けいば)

騎馬の競走。距離や負荷重量など,定められた条件のもとで2頭以上の馬を走らせ,その勝負を競う。

現代の競馬は騎馬による戦闘,戦車競走,狩猟などにその起源をもつといわれる。古くはホメロスの《イーリアス》の中にうたわれた戦車競馬にまでさかのぼることができるが,近代競馬の形態が整えられたのはイギリスにおいてである。記録によれば,1377年,プリンス・オブ・ウェールズ(後のリチャード2世)とアランデル伯爵がニューマーケット付近でそれぞれ自分の馬に乗ってレースを行ったとある。初期の競馬はこうしたマッチレースが主体だったようだ。その後,イギリスの王侯貴族がイニシアティブをとることで16~17世紀に競馬は隆盛期を迎えた。1540年に最初の常設競馬場がチェスター郊外のルーディに作られ,王政復古後の1666年にはチャールズ2世がニューマーケット・タウンプレート競走に王室杯を寄贈した。このレースは後のキングプレート競走の前身で,19世紀まではイギリス最大のレースとして現在の4歳馬五大クラシックレースに相当する地位を占めていた。1711年,ウィンザー宮殿に近いアスコットにアン女王によって唯一の王室所有の競馬場が開設され,女王杯レースが催された。その後,アスコットで開催される夏の王室競馬は王室のほか多くの紳士,淑女が集まり,華やかなファッションを競い合う一大社交場となった。また18世紀にはそれまでの2人の馬主によるマッチを3人以上の馬主の参加に拡大し,それぞれが拠出する出馬登録料を優勝馬の馬主が全額収得するスイープ・ステークス制度が登場した。これがマッチレースに代わりしだいに競馬の本流を占めるようになった。そしてこのスイープ・ステークスの代表としてセントレジャー(1776,ドンカスター競馬場),オークス(1779,エプソム競馬場),ダービー(1780,エプソム競馬場)の各レースが創設された。セントレジャーはアンソニー・セントレジャー中将,ダービーは第12代ダービー卿エドワード・スミス・スタンリーとそれぞれ創始者の名をとり,オークスは創始者ダービー卿の別荘地の名から名付けられた。この3レースに2000ギニー(1809,ニューマーケット競馬場),1000ギニー(1814,ニューマーケット競馬場)を加えたものが,現在も続いている明け4歳馬(満3歳)の五大クラシックレースである。1750年,競馬運営機関としてジョッキー・クラブが創設された。当初はニューマーケット競馬に関与しただけだったが,しだいに指導メンバーの見識と権威が他の競馬場にも影響を及ぼし,その後の変遷を経て,現在ではイギリス競馬の権威ある統轄機関となっている。

(1)古式競馬 日本で最初に文献にあらわれた競馬として《続日本紀》に記されている701年(大宝1)の走馬(はしりうま)が挙げられる。宗教的色彩が濃く,当時きわめて貴重な存在とされていた馬を神の乗物と想定し,各馬の資質を競い合い,その行事を神に奉納したとされているが,この行事は競駒(くらべこま),競馬(くらべうま)などの名でその後のいくつかの文献に顔を出し,清少納言も《枕草子》の中で,競馬観戦を記している。現在でも京都の上賀茂神社で行われている賀茂競馬は,平安時代末期に同神社で行われた競馬の実情を伝えているとされている。こうした古式競馬が近代競馬の輸入まで約1000年もの間続けられてきたのは,狩猟や戦闘などにおいて,ヨーロッパほど民族が馬そのものとかかわり合いが深くなかったことや鎖国政策などが理由として挙げられるだろう。

(2)近代競馬 日本で初めて近代競馬が行われたのは1861年(文久1)である。横浜の山下町で在留外国人によって催された。翌62年,このイギリス人を中心とする在留外国人の競馬施行団体として横浜レースクラブが設立され,根岸競馬場でレースが行われた。75年ころには,日本人のクラブ加入が認められ,80年には日本レースクラブと改称,春秋2回の根岸競馬が開催された。これをまねて東京九段の招魂社(しようこんしや)(後の靖国神社)祭典競馬のほか三田育種場,戸山学校,上野不忍池畔などに円形馬場が作られて,それぞれ競馬が開催された。このほか札幌,宮崎などの馬産地でもそれまでの古式競馬とは異なる娯楽を目的とした競馬が行われた。この時期は,日清戦争などで日本産馬の能力の低さが指摘されたこともあり,日本馬改良のためには競馬施行が効果があると主張する加納久宜子爵や安田伊佐衛門が東京競馬会を設立,事業振興のために賭を伴う近代競馬施行の許可を政府に求めた。当初は一部に反対があったものの,1906年政府はこれを認め,馬券発売黙許の時代が始まり,06年11月から合計4日間,日本人による最初の近代競馬が開催された。これ以後,全国で15の競馬施行団体が生まれ,たちまちにして競馬ブームが盛り上がった。しかし,馬券に熱中するあまりの社会的弊害が起こり始めたことから,各方面から非難の声があがり,08年10月には馬券発売が禁止となった。これ以後14年間は,政府が財政的援助をする形の補助金競馬時代が続いたが,馬券を発売しないため競馬,馬産事業はともに財政的に苦しくなり,23年3月,再び馬券(勝馬投票券)発売を容認する競馬法が成立した。これにより,全国で札幌,函館,福島,新潟,中山,東京,横浜,京都,阪神,小倉,宮崎の11競馬クラブに馬券の発売許可が与えられた。この各競馬クラブの連絡機関として帝国競馬協会(初代理事長,安田伊佐衛門)が設けられ,後に11団体の並立という非能率打開のために発展的解消をとげ,36年の競馬法改正で特殊法人日本競馬会として生まれ変わった。こうして迎えた日本の近代競馬の発展期も第2次大戦のために水をさされることになった。戦局の進展に伴い,馬券の発売を伴わない能力検定競走(1944)に変わり,これも45年には終戦と相前後して北海道静内と岩手滝沢の2会場のみで行われた。戦後は46年に東京,京都の両競馬場で競馬が再開され,48年には新たな競馬法の下で政府みずからが施行団体となる国営競馬時代となった。その後,国が賭事を伴う競馬を施行することの道義的問題が指摘されるなどして民営論が高まり,54年競馬施行は民間に移行されることになった。この施行団体として政府全額出資の特殊法人日本中央競馬会(初代理事長,安田伊佐衛門)が発足した。これは公社に準ずる公共性の強い団体で,農林大臣(現在の農林水産大臣)の監督下に置かれ,現在に至っている。中央競馬の競馬場は札幌,函館,福島,新潟,中山,東京,中京,京都,阪神,小倉の10ヵ所。

日本で行われている競走は,1995年まで競走馬の品種によりサラブレッド系とアラブ系に分かれ,前者では平地,障害両競走が行われ,後者では平地競走のみが行われていたが,アラブ系競走は96年に中央競馬では廃止された。トロッター種による繫駕速歩(けいがそくほ)競走も1968年かぎりで中央競馬から姿を消した。また数え年による馬の年齢により3歳,4歳,5歳以上などと区別され,獲得賞金によっても細かくクラス分けがなされている。このほか一般競走と特別競走という分け方もある。特別競走は欧米におけるステークスレースの流れをくみ,出走馬の馬主から特別登録料を徴収し,それを賞金の一部にあてるもので,このうちとくに賞金の高いものを重賞競走といい,年間約100レースが行われている。さらにその中でもとくに有名なレースとして4歳馬の五大クラシックレース(桜花賞,皐月賞,優駿牝馬=オークス,東京優駿=ダービー,菊花賞)があり,これに春秋2回の5歳馬以上(古馬)による天皇賞,4歳馬以上の有馬記念を加え,八大競走と呼んでいる。五大クラシックレースはいずれもイギリスのクラシックレースに範をとったもので,オークス,ダービーのほか,桜花賞は1000ギニー,皐月賞は2000ギニー,菊花賞はセントレジャーによる。このうち皐月賞,ダービー,菊花賞の3レースを制した馬を三冠馬と呼ぶが,これもイギリスで2000ギニー,ダービー,セントレジャーに優勝した馬をトリプルクラウン・ホースというところからきている。イギリスではすでに70年のニジンスキーまで15頭の三冠馬が出ているが,日本では1941年セントライト,64年シンザン,83年ミスターシービー,84年シンボリルドルフ,94年ナリタブライアンの5頭だけである。また有馬記念はファン投票,推薦委員会の推薦により出走馬が選出されるもので,1956年に中山グランプリの名で創設され,第2回からその年に死亡した日本中央競馬会第2代理事長有馬頼寧の名をとって改称された。障害競走の大レースは数少ないが,年2回の中山大障害(距離4100m)が有名である。

競走馬が背負う重量には騎手(体重),その装具(むち,帽子を除く)のほか,鞍,鞍下毛布,ゼッケン(番号ゼッケンを除く),しりがい,むながい,また綱の重量が含まれ,その決め方には(1)馬齢,(2)別定,(3)ハンディキャップの3通りがある。馬齢重量は馬の年齢,性別で決められたものである(表2)。別定重量は馬齢,性別のほかに収得賞金,勝利数などを加味して算出されるもので,多くの重賞競走がこれを採用している。また4歳五大クラシックレース(牡57kg,牝55kg),天皇賞(牡58kg,牝56kg),有馬記念(4歳54kg,5歳56kg,6歳以上55kg,牝馬各2kg減)と牡,牝の間にだけ差を設けて全馬に一定の重量(定量)を負担させるものも別定重量に含まれる。ハンディキャップとは,強い馬に負担重量を大きく与えることによってどの馬にも勝つチャンスを与えようとするもので,優勝劣敗という競馬の競走原理には反したものだが,ゲームとしての競馬の興趣を盛り上げるものとして,現在,世界各国の競馬で増加の傾向にある。ハンディキャップを作成する公式のハンディキャッパーは競走成績,競走の細かな内容,持ちタイム,さらには調教の状態なども参考にしてこれを決める。負担重量を1kg増すと1600mで約1馬身,2400mで約2馬身の差をもたらすという。

馬券は正式には勝馬投票券といい,1923年の競馬法制定の際に採用され,現在に至っている。馬券の種類には単勝式,複勝式,連勝式がある。単勝式は1着馬を的中させ,複勝式は出走馬の数により,5~7頭の場合は1,2着馬,8頭以上の場合は1~3着馬のそれぞれいずれかを的中させればよい。連勝式には連勝単式と連勝複式があり,出走馬を1~8枠に割り振り,1,2着馬をその枠番号でその順に的中させなければいけないのが連勝単式で,その逆でも的中とするのが連勝複式である。中央競馬では,単勝,複勝,枠連,馬連,ワイド,馬単,3連複,3連単の8種類。馬券の取扱い手数料ともいうべき控除金は,現在2段階で差し引かれている。まず売得金全体の18%が控除され,その次に残りの金額から的中分を差し引いたものからさらに10%が控除され,その残りが払戻金となる。したがって的中分の金額によって全体の控除率および払戻率は異なり,的中が多ければ控除率は低くなり,的中が少なければ高くなる。一般に控除率は25%といわれているが,これはおおよその目安で,正確には18%から26.2%の間ということになる。配当金については次の簡便計算法で算出できる(いずれも10円に対しての配当)。

  Wは的中票数,Dは不的中票数

この概算払戻率を各出走馬についてレース前に発表したものがオッズである。オッズの表示は日本では64年から行われ,当初は特殊な計算尺を用いるなどしていたが,現在ではコンピューターにより,オッズを刻々計算,表示するトータリゼーター・システムが採用されている。

 海外の馬券についていえば,どの国でも単勝win,複勝placeは発売されている。連勝式forecastもイギリス,アイルランド,フランス,アメリカ,イタリア,ドイツなど多くの国で用いられ,そのほかイギリス,フランス,アメリカでは重勝式doubleがあり,フランスで有名なものとして3連勝tiercéがあり,イギリスでは宝くじ的な6重勝jack pot,6連勝role upがファンの人気を呼んでいる。イギリスの場合,ブックメーカーと呼ばれる私設の公認馬券取扱い業者の売上げが売上げ全体の93%(1996)を占め,配当については馬券発売時にブックメーカーが客に表示するシステムになっている。ブックメーカーが法的に認められているのはイギリスのほかアイルランド,南アフリカ,ドイツ,イタリア,オーストラリアなどで,フランス,アメリカでは認められない。

馬券を発売するのは開催競馬場のほか全国35ヵ所に場外発売所がある。また遠隔地競馬ファンへのサービス,場内,場外発売所の混雑緩和およびいわゆるのみ行為防止などを目的に76年10月に電話投票が生まれた。電話投票には二つの方式がある。(1)ARS(音声応答)方式は,プッシュボタン電話機で加入者が電話投票所のコンピューターに直接申込み内容を入力する。(2)CRT(対話)方式は,プッシュボタン電話機またはダイヤル電話機で,加入者が電話投票所の係員に口頭で購入申込みするもの。加入者は中央競馬会と電話投票に関する契約を結び,競馬会の指定する銀行に,本人名義の電話投票に使用する普通預金口座とあわせて,競馬会への担保として定期預金口座を開設する。

 馬券の発売は中央競馬会に限られる。馬券発売の類似行為(のみ行為)をして利を図った者(のみ屋)は,競馬法30条により5年以下の懲役もしくは50万円以下の罰金に処せられる。近年はこれが暴力団の資金源となる場合も多い。

発走合図は発馬機で行う。以前には麻縄製のネットを上方に跳ね上げて合図するバリアーbarrier式発馬機が用いられていたが,これは各馬の静止状態が一致せず,他馬に触れるなどの欠陥があった。このため60年からウッド式発馬機,そして75年からこれに改良を加えたJSG48型発馬機が用いられるようになった。

祭礼などの余興として行われていたいわゆる草競馬の流れをくみ,1910年全国の畜牛馬組合の手で施行されたのが,今日の地方競馬の始まりとなった。その後,施行者や地方競馬規則(最初の制定は1927年)の変遷を経て,39年〈軍馬資源保護法〉が公布され,同年末に地方競馬規則は廃止された。これは37年の日中戦争勃発により,資質の高い軍馬の需要が増大し,あわせて軍費調達の一方法として競馬の収益に目がつけられたためで,額面3円以下の〈優等馬票〉(単勝,複勝式)発売,すなわち地方競馬で初めて馬券の発売が認められることになった。そして48年の新競馬法公布により,初めて中央競馬と地方競馬は法律的に一本化された。中央競馬との相違点はいくつかあるが,おもなものとしては施行者が都道府県および指定市町村の地方公共団体であること。中央がその目的として馬の改良増殖その他畜産の振興に寄与することをうたっているのに対し,地方には明確な条文がなく,しいていえば地方財政への寄与がその主目的とみられること。競馬場数は中央が10ヵ所なのに対し,地方は2005年現在22ヵ所である。中央,地方両競馬の交流にはさまざまな障害があるが,1973年に中央競馬が地方競馬招待レースを行い,翌74年には地方が中央を招待。その後も両者の交流は深まり,重賞競走に限っても,中央で12の招待レースが開催されている。

競馬施行の主催者である日本中央競馬会は,競馬法により馬主の登録をし,調教師,騎手に免許を与え,厩舎(きゆうしや)の貸付けを行う。そして調教師が雇用する調教助手,馬手の承認を行う。

馬主登録には個人,法人の2種類があり,最近では税金対策,競走馬価格の高騰などの理由から法人馬主が増加の傾向にある。競馬法により以下の者は馬主登録は受けられない。(1)禁治産者,準禁治産者および破産者であって復権を得ない者,(2)競馬法(旧競馬法を含む),地方競馬法に違反して罰金以上の刑に処せられた者,(3)1年以上の懲役に処せられた者,さらに調教師,騎手など厩舎関係者も馬主登録は受けられない。馬名登録についてはかたかな表記で,3歳時にかぎり,1度だけ変更が許されるが,(1)有名な馬の名称もしくは馬名と同じである馬名またはこれと紛らわしい馬名,(2)父母の名称もしくは馬名と同じである馬名またはこれと紛らわしい馬名,(3)すでに登録を受けている馬名もしくは登録を抹消されてから5年を経過しない馬名と同じである馬名またはこれと紛らわしい馬名,(4)奇矯な馬名,広告,宣伝を目的とした馬名,(5)10字以上の馬名,などは登録を受けられない。

馬主から競走馬を預かり,これを育成管理するとともに,調教しレースに出走させるのが調教師の役割だが,馬主に代わって出馬登録,出馬投票,賞金の受領なども行う。こうした業務を一人で切り回すのは大変なので,馬の調教や厩舎管理業務を代行するものとして調教助手がいる。これは日本中央競馬会理事長の承認を受けて調教師が自分の助手として雇用する。調教師はこのほか馬手とも雇用関係を結んでおり,厩舎の労務管理も重要な仕事の一つになってきている。調教師になるためには中央競馬会が行う免許試験(身体,学力,人物,技術)に合格しなければならず,受験資格は28歳以上。現在のところ,調教師の前身は騎手,調教助手といった厩舎勤務経験者で占められている。2006年現在,調教師総数は227名(関東地区115名,関西地区112名)。

馬の能力を最大に発揮させるという意味で,騎手jockeyは馬と並んでレースの主役である。騎手は通常,各厩舎に所属し,主としてその厩舎の馬の調教,騎乗を行うが,拘束関係はそれほど強いものではなく,他厩舎の馬にも騎乗する。またフリーとしてどの厩舎にも所属しない騎手もいる。騎手になるためには,調教師と同じく中央競馬会の免許試験に合格する必要があるが,受験資格を得るためには厩舎で調教師に養成を受ける騎手候補者制度と東京の馬事公苑にある中央競馬会の騎手養成所で養成を受ける騎手講習生制度がある。免許試験は身体(体重は発育完成時で49kg程度以下の見込みのもの),学力,人物,技術にわたって行われる。97年現在,騎手総数は180名(関東地区90名,関西地区90名,うち女性5名)。騎手の重要な条件の一つに体が小さく,体重の軽いことがあり,ふだんでも50kg以下の体重を維持するためにたいていの騎手は1日2食で米飯を極端に控えた食事をとり,体重のコントロールに神経をとがらせている。また数え年26歳以下の騎手が一般競走に騎乗する場合,その騎手の勝利数が20回以下のときには3kg,21回以上30回以下のときには2kg,31回以上40回以下のときには1kgの重量をその負担重量から減じてもらえる制度があり,これらの騎手を見習騎手あるいは減量騎手と呼んでいる。騎乗方法も昔と現在では大きく違う。昔は普通の乗馬のように長い鐙(あぶみ)で,騎座を鞍につけ上体をまっすぐに起こしていた。それが競馬のスピード化に対応するため,1898年にアメリカのトッド・スローン騎手がいわゆるモンキー乗りを考案してから,鐙が短くなり,上体を前に倒して尻を鞍から離すスタイルが定着し,日本でも昭和30年代に保田隆芳騎手のアメリカ遠征のみやげの形で取り入れられた。

厩舎で実際に馬の世話をする人のことで厩務員とも称し,競馬法上は馬丁という。調教師との間に雇用関係を結び,調教師の指示に従い,原則として1人当り2頭の持ち馬の世話をする。馬房清掃,引き運動,乗り運動,馬の手入れ,飼料を与える作業を早朝と午後の1日2回行うのがおもな業務である。

競馬を考えるとき,どうしても見逃せないのが血統の問題である。現在,世界各国に分布するサラブレッドの父系をさかのぼると,バイアリー・ターク,ダーレー・アラビアン,ゴドルフィン・アラビアン(ゴドルフィン・バルブ)といういわゆる三大根幹牡馬の名に行き当たる。この3頭をはじめとする多くの東洋産馬が17世紀から18世紀にかけてイギリスに次々と輸入され,現在のサラブレッドの祖先になったが,現代に直系の子孫を残しているのは前記の3頭だけである。サラブレッドとは,このように古くからイギリスに飼われていた牝馬(ひんば)に東洋から輸入したアラブなどの牡馬(ぼば)を交配し,何世代にもわたって競馬という厳しい能力検定を経た結果生まれた馬の1品種ということができる。しかし公認の特定団体またはサラブレッド血統書に登録された馬という厳密な定義からいえば,時代によりまた国によりその登録基準が一定でないという側面もあり,微妙な部分をもっている。この血統についての記録の草分けとなったのが《レーシング・カレンダー》(1773)と《ゼネラル・スタッドブック》(1791)で,いずれもイギリスで刊行された。前者は競走馬の競走成績,後者は牝馬の繁殖成績を記したもので,現在でも引き続き刊行されており,各国もこの伝統にならい血統書と成績書を出している。こうして血統についての記録が整備され,現在ではある種牡馬の産駒が収得した賞金額の多い順に並べてその1位をリーディング・サイアーとするやり方や,ある種牡馬を父にもつ全出走馬の1頭当りの平均賞金獲得額を並べたアベレージ・アーニング・インデックスなどで血統の良否を判断しようとする試みが行われている。さらにある種牡馬の産駒が挙げた勝利の平均距離をもとに算出したスタミナ・インデックスもあり,その種牡馬が短距離向きか長距離向きか判断する方法も用いられている。しかし馬の競走能力の遺伝に関しては,他のさまざまな要素の入り込む余地があり,この血統を背景にして行われるサラブレッドの生産についてはまだ科学的な決め手が見つかっていないのが現状である。

日本と外国では分類のしかたに多少の違いがあるが,日本の中央競馬で行われるサラブレッド系の平地,障害競走,アラブ系の平地競走に使用されるのは日本軽種馬登録協会に登録されるサラブレッド(略称,サラ),サラブレッド系種(サラ系),アラブ(アラ),アングロ・アラブ(アア),アラブ系種(アラ系)の5種類である。このうち純血アラブは日本では絶無の状態だが,アングロ・アラブ,アラブ系種はいずれもアラブの血量が25%以上,サラブレッド系種はそれが25%未満という基準に従っている。またサラブレッド系種の馬も連続8代にわたり,サラブレッドを交配すれば,その子はサラブレッドの範疇に入ることになっている。

日本の競走馬生産は,1923年の競馬法による馬券発売復活以前はサラブレッド,アラブともに微々たるものだった。その後サラブレッド競馬が盛んになるとともにサラブレッドの生産は順調に伸び,アラブも軍用乗馬の供給源としてアングロ・アラブの生産を増大させるという国策のバックアップもあって,急速な伸びを示した。しかし最も大幅な増加は昭和40年代になってからで,1965年に5000頭だったものが,75年には2倍以上の1万1651頭を記録した。その後はアラブの減少もあり,96年の生産頭数は8713となっている。生産地は北海道から九州にまで分布しているが,伝統的な産地としては北海道の十勝,日高,胆振各地方,青森,岩手,宮城,福島,栃木,千葉,宮崎,鹿児島などで,このうち日高は全国の約80%を占めている。競走馬の取引はせり市場で行われるものより,売手と買手が話し合って価格を決める庭先取引が多く,近年のおおまかな傾向としてサラブレッドの場合,自家生産馬を馬主自身が使用するものを含めた庭先取引が85%,残りの15%が抽せん馬を含めて市場取引になっている。種牡馬については1952年から輸入が始まり,73年には最も多い44頭に達し,外国で活躍した競走馬や優秀な産駒を出したものなども目だった。最近では価格が高騰し,1億円以上の価格は常識で,96年に輸入されたラムタラは33億円といわれている。種牡馬の所有形態には団体所有,シンジケート所有,個人所有があるが,外国からの輸入種牡馬についてはほとんどがシンジケート所有となっている。外国のサラブレッド生産状況についていえば,最大の生産国はアメリカで日本の約4倍,次いでオーストラリア,その次に日本,アイルランドが続いている。世界的な生産地として知られているのはアメリカのケンタッキーとイギリスのニューマーケットである。

現在,世界のほとんどの国で競馬は行われており,実施国は90ヵ国をこえるといわれ,かつては開催のなかった中国でも最近になって開催されるようになった。各国とも開催形態や内容についてはいろいろ相違点も多い。たとえば,日本での競走といえば,ほとんどが平地競走だが,フランス,ドイツでは繫駕速歩競走(トロッター)が非常に盛んだし,アメリカにはトロッターのほか,独特のクオーター競走と呼ばれる400mくらいの短距離競走も行われている。この世界各国の競馬は,イギリス式とアメリカ式に大別することができる。まず競馬に対する考え方として,イギリスでは王侯貴族が自分たちの馬を持ち寄り,賭金を出し合って勝負を競ったという伝統が現在も生きており,全賞金のうち馬主の拠出する特別登録料が約25%を占めている。これに対し,アメリカではあくまでファンサービスのための事業という考えが強く,馬主の拠出金の占める割合はわずか0.5%にしかすぎないといわれる。レースに関しては,イギリスではすべて芝馬場でタイムよりも勝負を重視し,強い馬に有利な馬齢重量競走が多い。アメリカでは平坦なダートコースが多く,レコードタイムを高く評価するスピード重視型である。さらに勝負の興味を盛り上げるために,ハンディキャップ競走が多い。

 最近は各国の競馬交流が盛んになり,いろいろな国で大規模な国際競馬レースが行われるようになった。いずれも総額400万ドルと世界最高の賞金を誇るワールドカップ(ドバイ),ブリーダーズカップ・クラシック(アメリカ)の2レースをはじめ,アメリカのアーリントン・ミリオン,イギリスのキングジョージVI・アンド・クイーンエリザベス・ステークス,フランスの凱旋門賞のほかイタリアのミラノ大賞典,ドイツのヨーロッパ大賞などが国際級の大レースになっている。日本でも81年から国際人馬招待レースであるジャパンカップを開催,海外の有力馬が毎年のように来日し,国際化の努力が実ってきた。
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百科事典マイペディア 「競馬」の意味・わかりやすい解説

競馬【けいば】

騎馬の競走。スポーツであるとともに,馬券による賭(かけ)が行われるギャンブルでもある。近代競馬は14世紀ころ英国の貴族らが持馬の優劣を競ったことに始まる。18世紀末に馬主が賞金を出し合って勝馬に与えるスイープ・ステークス形式の賭が生まれ,さらに馬券発売の賭に発展。英国のエプソムやアスコット,フランスのロンシャンなどが名高い競馬場で,また社交場でもある。日本では古くから競馬(くらべうま)の神事があるが,洋式競馬は慶応年間に横浜の根岸で居留外人の行ったものが最初で,1906年の東京池上競馬で初めて馬券が売られた。現在は〈競馬法〉に基づき,日本中央競馬会の中央競馬(府中,中山,淀など)と,都道府県,特定の市町村の地方競馬が行われ,中央競馬では単勝式,複勝式,連勝複式(枠番連勝,馬番連勝)の4種の馬券(勝馬投票券とよばれる)が売られている。英国のダービーオークス,米国のケンタッキー・ダービーなどが著名。日本ダービーは英国にならったもの。競走馬にはサラブレッド種,アラブ種があり,前者では平地,障害両競走,後者では平地競争のみ行われる。繋駕速歩(けいがそくほ)競走にはトロッター種が用いられたが,これは1968年以後中央競馬では行われていない。
→関連項目シンザン野平祐二ハイセイコー

競馬【くらべうま】

5月5日,端午の節句の日に朝廷が催した,馬が走る速度を競う競技。1回の競技に左方・右方の2頭ずつで競い,全部で10回行う。左右双方の合計点で勝敗を決する。馬場は,大きく三つの部分から構成されていて,第1の木の位置を馬出(うまだし)と呼んで出発点とし,第2の木の位置で鞭(むち)を入れ,第3の木の辺りに鉾(ほこ)を立てて馬駐(うまどめ)と呼んで決勝点とした。馬駐には審判員が位置し,着順を判定した。 競馬のもっとも古い記録は《続日本紀》の大宝1年(701年)5月5日の条で,このころにはまだ〈走馬〉(はしりうま)と呼ばれていた。競馬ということばが定着するのは《類聚国史》の出る寛平4年(892年)ころと考えられている。初めは朝廷や貴族の間で行われていたが,平安時代末期には衰退し,それに代わって神社の境内で行われる競馬が盛んになった。京都の上賀茂神社(賀茂別雷神社)で行われる〈賀茂競馬〉は有名で,いまも盛んである。この競馬は堀河天皇の〈天下泰平五穀成就〉の勅願(寛治7年,1093年)によって始まったという。競馬は,今日もなお,全国各地の賀茂神社の系譜に多く伝承されている。→競馬(けいば)
→関連項目年占

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「競馬」の意味・わかりやすい解説

競馬
けいば
horse racing

一般には,馬あるいは馬の引く車に騎手が乗って疾走し,その勝負に賭け合うことを目的とする公認の賭け事をさす。賭けの形態には,(1) 馬主同士が各自の持ち馬の勝利に賭ける,(2) 競馬施行者またはその受託者が独占的に発売する勝馬投票券に賭ける,(3) 私企業のブックメーカーが不特定の客と賭けるなどの種類がある。発祥地はイギリスとされており,17世紀頃には王侯貴族や富裕地主の庇護を得て,18世紀末頃までに制度上の基礎は一応確立した。その後世界各国へ伝えられて発展し,上流階級の趣味としてだけでなく,最も普遍性の高い大衆娯楽の一つとして人気を集めている。現在ではかつて強調された馬の品種改良,馬事思想の普及などよりも,競馬開催による収益が国または地方公共団体の財政に寄与している面を重視するのが世界的な傾向である。日本では文久1 (1861) 年,イギリス人を中心とする居留民が横浜で催したのが最初である。 1923年には競馬法が公布され,以後何度かの改正を経て,現在では日本中央競馬会による中央競馬と地方公共団体の地方競馬という2体系で施行されている。競馬の種目には,平地競走障害競走繋駕 (けいが) 速歩競走のほか,フランスで盛んな騎乗速歩競走,日本の地方競馬で行われている輓曳 (ばんえい) 競走,スイスのスキー競馬など特殊な競馬もある。また負担重量を課す制度による分類としては,馬齢や競走距離などによってあらかじめ負担重量を定めた馬齢重量競走,出走各馬に各競走ごとに決める別定重量競走,出走全馬に同等の勝機を与えるよう勘案して課すハンディキャップ競走の3種類がある。

競馬
くらべうま

こまくらべ,きそいうま,きおいうまなどともいう。奈良,平安時代に朝廷や貴族間で行われた馬の競走。左右に分れ,各1騎ずつが一の鳥居と二の鳥居の間につくられた直線の馬場で速さを競い,10番の勝負で左右いずれかの勝ちを決める。また 10騎を並べ駆けさせて争う,のちの競馬 (けいば) と同じような形式のものもあった。寛治7 (1093) 年5月5日の節会 (せちえ) に宮中武徳殿で行われたのが最初。平安時代後期にこの行事はすたれたが,以後は春日,賀茂など諸神社の祭儀として引継がれ,賀茂別雷 (わけいかずち) 神社では五穀豊穰の祈願をこめて現在も5月5日に行われている。

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世界大百科事典(旧版)内の競馬の言及

【ウマ(馬)】より

…能力として問題となるのは役用能力,繁殖能力などであるが,役用能力,とくに輓曳能力については種々の能力検定が行われている。競走馬については競馬というきびしい能力検定の場があって,競馬場でよい成績をあげたものが種馬として高い評価を受ける。選抜された種畜を血縁関係の近いものどうし交配して,その保持している遺伝的な形質を固定するのが内交配である。…

【競馬】より

…定められた条件のもとで2頭以上の馬を走らせ,その勝負を競う。
【歴史】

[西洋]
 現代の競馬は騎馬による戦闘,戦車競走,狩猟などにその起源をもつといわれる。古くはホメロスの《イーリアス》の中にうたわれた戦車競馬にまでさかのぼることができるが,近代競馬の形態が整えられたのはイギリスにおいてである。…

【端午】より

…また,奇(くす)しく霊なる意味から薬の玉を室内に飾り,身につけ,邪気をはらう意があった薬玉(くすだま)は,寿命を延べることから続命縷(しよくめいる)と称し,五色の糸で作り季節の花を,それにつけて贈答する風もあった。平安時代には,天皇が武徳殿に出席して騎射(うまゆみ)と競馬が5日,6日の2日間にわたって行われ,のち宴が催された。武家時代には,印地打(いんじうち)(印地。…

【賀茂競馬】より

…京都市北区上賀茂鎮座の賀茂別雷(わけいかずち)神社で行われる5月5日の競馬神事。〈かものくらべうま〉ともいう。…

【ダービー】より

…競馬の競走名。近代競馬発祥の地イギリスのエプソムEpsom競馬場(ロンドン郊外)で1780年に始まったもので,創設者の第12代ダービー卿スタンリーEdward Smith Stanleyの名をとって命名された。…

【ドロー】より

…スポーツ用語としてのドローの始まりは競馬である。意味は,競走馬を競馬場から引き上げさせて勝負の決着をつけない,つまり,〈無勝負〉ということにある。…

【ナーダム】より

…モンゴルの革命記念日7月11日にウランバートルで行われるもの(国家ナーダム)が最も大きく有名だが,同時にアイマク(州)やソム(県),協同組合その他でも行われる。民族スポーツとは〈男の三競技〉といわれる競馬,弓射,角力(相撲)をさす。競馬は種馬,7歳馬,5歳馬,4歳馬,3歳馬,2歳馬がおのおの28,30,28,25,20,15kmを別々に走り,おのおの先着の5馬をアイルギン・タブ(馬乳酒の5頭)とよんでたたえる。…

※「競馬」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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