章乃器(読み)しょうだいき

日本大百科全書(ニッポニカ) 「章乃器」の意味・わかりやすい解説

章乃器
しょうだいき / チャンナイチー
(1894―1977)

中国の銀行家、実業家。浙江(せっこう/チョーチヤン)省青田の人。1920年浙江省立商業学校卒業。浙江実業銀行に入り、同行副経理(副頭取)となる。1935年上海(シャンハイ)文化界救国会を組織、1936年5月沈鈞儒(ちんきんじゅ/シェンチュンルー)らと全国各界救国連合会を組織し、連共抗日を国民政府に要求。11月沈らとともに投獄され「抗日七君子」の一人となり、抗日の世論を沸き起こした。1937年盧溝橋(ろこうきょう)事件後に釈放。第二次世界大戦後、黄炎培(こうえんばい/ホワンイェンペイ)らと中国民主建国会を組織し、国民党独裁・内戦に反対した。1949年9月政治協商会議全国委員会常務委員。同年10月の新中国成立後は政務院糧食部長、中国銀行常務理事、全国人民代表大会四川(しせん/スーチョワン)省代表などを務めたが、1957年右派分子として批判され失脚。1977年5月北京(ペキン)で病死。1982年名誉回復。著書には『中国貨幣制度往那去(中国貨幣制度はどこに行く)』など。

[阿川修三]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

改訂新版 世界大百科事典 「章乃器」の意味・わかりやすい解説

章乃器 (しょうだいき)
Zhāng Nǎi qì
生没年:1894-1977

中国,浙江省青田出身の経済評論家。浙江実業銀行副経理。1931年の九・一八事変(満州事変)後,沈鈞儒(しんきんじゆ),鄒韜奮(すうとうふん),沙千里らとともに全国各界救国聯合会の指導者として,抗日民族統一戦線を結成したが,七君子事件で投獄された。戦時中は救国会を離れ,上川企業公司を創設,また酒精厰,運輸合作社等を経営した。45年12月,黄炎培らと民主建国会を組織して重要幹部となり(民主党派),52年8月政務院食糧部長に就任したが,58年2月,右派分子として追放された。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

百科事典マイペディア 「章乃器」の意味・わかりやすい解説

章乃器【しょうだいき】

中国の政治家経済学者。浙江省の人。独学で経済学を学び,光華大学教授,安徽省財政庁長などを歴任。抗日戦争中は民族統一戦線擁護の理論家として活躍。抗日七君子の一人。戦後民主建国会を設立し,中華人民共和国では糧食部長となる。1957年の整風運動で批判され翌年失脚したが,1959年復活。

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

今日のキーワード

黄砂

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android