竜光院(読み)りゆうこういん

日本歴史地名大系 「竜光院」の解説

竜光院
りゆうこういん

[現在地名]宇和島市天神町

宇和島城の北、辰野たつの川に臨む丘陵地にある。臨海山と号し、高野山真言宗。本尊阿弥陀如来。「宇和旧記」によると、もと神宮じんぐう(現笹町一丁目)境内にあった。寛永二年(一六二五)西江せいごう寺を移転させて、竜光院の地とした。臨海山という山号によっても、付近まで海が迫っていたことがわかる。開山の栄瑜は土佐の人。当寺は、宇和島城の鬼門にあたるため、文殊菩薩を勧請して祈願所としたものである。寛永六年末森村(現北宇和郡三間町北増穂)に一〇〇石の寺領を与えられ、同一五年には大覚寺宮二品親王が留錫した時、山号を臨海山、寺号を福寿寺とした。

竜光院
りゆうこういん

[現在地名]上田市大字前山 東前山

東前山ひがしまえやま集落の西南山麓にあり、曹洞宗の寺。宝珠山と号し、本尊釈迦如来。寺伝によれば弘安五年(一二八二)塩田城主北条陸奥守入道道祐(北条国時)開基、月湲和尚を開山として創立。初め仙乗せんじよう寺といい鎌倉建長けんちよう寺末で、のち埴科はにしな東船山ひがしふなやま村の曹洞宗満照寺末となった。慶長六年(一六〇一)満照寺七世瑞応が竜光院と改め、中興開山とする(長野県町村誌)

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「竜光院」の意味・わかりやすい解説

竜光院
りゅうこういん

和歌山県高野町にある高野山真言宗の別格本山空海居住の地といわれ,高野山の山内寺院のなかで最古の歴史をもつ。寺伝によれば,初め中院と称していたが,16世明算 (めいざん) のとき,庭の池に如意宝珠を抱いた竜神が出現し,竜光院と改めたという。寺宝を多数所蔵し,空海が唐から帰国する際,船中に湧現 (ゆうげん) した観音を描いたという絹本着色『伝船中湧現観音像』,奈良時代の『大字法華経』,聖武天皇が全国に国分寺を建てた際の勅願経とされる『紫紙金字金光明最勝王経 (ししきんじこんこうみょうさいしょうおうきょう) 』および『細字金光明最勝王経』はいずれも国宝

竜光院
りょうこういん

京都市北区にある臨済宗大徳寺の塔頭黒田長政が父孝高の菩提を弔うために,春屋宗園を開基として慶長 13 (1608) 年に創建したもの。密庵咸傑の墨跡 (国宝) が掛けられる床があるため,密庵席と呼ばれる茶室を擁する書院は国宝建造物。この茶室は,境内の別の地に建っていたものを,書院造立時に内部に組込んだものとされている。慶安2 (49) 年に,創建当初の2階書院の骨組みを利用して造られた昭堂は重要文化財に指定されている。

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百科事典マイペディア 「竜光院」の意味・わかりやすい解説

竜光院【りょうこういん】

京都大徳寺の塔頭の一つ。1606年黒田長政が創立,広大な寺域を領したが明治初の廃仏毀釈の際に縮小。書院の北西隅にある4畳半台目の茶室密庵(みったん)は棚,付書院(現在密庵床と呼ばれる)をもち,壁ははり付で絵が描かれた書院風の茶室。他に密庵咸傑の墨蹟や曜変天目茶碗等文化財が多い。
→関連項目孤篷庵

竜光院【りゅうこういん】

竜光院(りょうこういん)

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世界大百科事典(旧版)内の竜光院の言及

【大徳寺】より

…伽藍の南にある竜源院の本堂(重要文化財)は大仙院本堂に次ぐ古さで,黄梅院の庫裏(1589,重要文化財)は年代の判明する禅宗塔頭庫裏では最古の遺構であり,また同時期の方丈(1588,重要文化財)とそろって残る例として珍しい。伽藍の西に所在する高桐(こうとう)院には《山水図》(南宋時代,国宝),竜光院には燿変天目茶碗(南宋時代,国宝),小堀遠州の設計になる四畳半台目茶室密庵(みつたん)(密庵席)をもった書院(江戸初期,国宝),孤篷(こほう)庵には古来より大名物として知られる井戸茶碗(銘喜左衛門。李朝時代,国宝),茶室忘筌(ぼうせん)(忘筌席。…

【密庵】より

…大徳寺塔頭(たつちゆう)竜光院にある茶室。小堀遠州の作と伝えられ,国宝に指定されている。…

※「竜光院」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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