立花隆(読み)タチバナタカシ

デジタル大辞泉 「立花隆」の意味・読み・例文・類語

たちばな‐たかし【立花隆】

[1940~2021]ノンフィクション作家・評論家長崎の生まれ。本名、橘隆志。「田中角栄研究」で地位確立。その後も宇宙・医療など、幅広い分野で多くの著作を残した。作「宇宙からの帰還」「脳死」など。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「立花隆」の意味・わかりやすい解説

立花隆
たちばなたかし
(1940―2021)

ノンフィクション作家。長崎市生まれ。本名橘隆志。1942年(昭和17)から1944年まで中国・北京(ペキン)で過ごす。1957年(昭和32)、茨城県立水戸一高から都立上野高校へ転入。このときの同級生に写真家荒木経惟(のぶよし)がいる。

 1959年、東京大学文科二類入学。1960年、イギリスで開かれた国際反核会議に出席。1964年、東京大学文学部仏文科卒業。文芸春秋に入社し、『週刊文春』に配属される。1966年、文芸春秋を退社。女性誌『ヤングレディ』のアンカーマンを始める。1967年、東京大学文学部哲学科に学士入学。1968年、『文芸春秋』臨時増刊号に「素手でのし上がった男たち」を発表。このときからペンネーム立花隆」を使い始める。1969年、最初の単行本『素手でのし上がった男たち』を刊行。以来、雑誌『文芸春秋』『諸君』『潮』などにノンフィクション、評論などを次々に発表する。1971年、休筆して新宿ゴールデン街でバーを経営する。1972年、バーを売ってヨーロッパ、中東放浪。そのさなか、日本赤軍によるテル・アビブ事件に遭遇。『週刊文春』に「テル・アビブで岡本公三と一問一答」(1972)を発表し、ジャーナリストとしての活動を再開する。

 1974年『文芸春秋』に「田中角栄研究――その金脈と人脈」(『田中角栄研究全記録』所収)を発表。同誌同号に載った児玉隆也(たかや)(1937―1975)の「淋(さび)しき越山(えつざん)会の女王」とともに、のちの田中角栄逮捕・ロッキード疑獄のきっかけとなる。翌月、田中内閣は退陣に追い込まれ、「田中角栄研究」は『文芸春秋』読者賞(1974)、JCJ賞(1975)を受賞。『中核VS革マル』(1975)では新左翼セクトが内ゲバにいたる構造を追い、『日本共産党の研究』(1978。講談社ノンフィクション賞)では第二次世界大戦前の日本共産党の全体像に迫った。『アメリカ性革命報告』(1979)ではヒッピームーブメント以降のアメリカ人の性意識をルポ、『農協』(1980)では食糧自給率が低下するなかで規模拡大と資本整備によって変貌(へんぼう)する日本の農業の内幕を活写した。

 続く1983年刊行の、『宇宙からの帰還』(菊池寛(きくちかん)賞受賞)は、宇宙飛行体験と人間、脳と人間、死と人間などへの関心の端緒となる。一方で、『脳死』(1986)、『脳死再論』(1988)と発表。1990年(平成2)分子生物学と生命について分子生物学者の利根川進(とねがわすすむ)と対談した『精神と物質』刊行(新潮学芸賞)。その他の著書に『サル学の現在』(1991)、『電脳進化論』(1993。大川出版文化賞)などがある。1995年東京大学先端科学技術研究センター客員教授(~1998)。1996年東京大学教養学部に「応用倫理学」講座を開設。1998年、その業績に対し、司馬遼太郎(しばりょうたろう)賞、オメガ賞、放送文化賞が与えられた。

 政治と脳、宇宙飛行士。立花が関心を向ける先は、一見互いに無関係のようにみえるが、その根底にあるのは「人間とは何か」という問いである。

[永江 朗]

『『素手でのし上がった男たち』(1969・番町書房)』『『田中角栄研究全記録』上下『中核VS革マル』『日本共産党の研究』1~3(講談社文庫)』『『アメリカ性革命報告』『精神と物質』『サル学の現在』上下(文春文庫)』『『農協』『電脳進化論』(朝日文庫)』『『宇宙からの帰還』『脳死』『脳死再論』(中公文庫)』

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「立花隆」の解説

立花隆 たちばな-たかし

1940- 昭和後期-平成時代のノンフィクション作家,評論家。
昭和15年5月28日生まれ。昭和49年「文芸春秋」に「田中角栄研究」を発表,この論文は首相退陣への引き金となる。54年「日本共産党の研究」で講談社ノンフィクション賞。58年菊池寛賞。62年「脳死」で毎日出版文化賞。平成10年司馬遼太郎賞。26年「読書脳―ぼくの深読み300冊の記録」で毎日出版文化賞。著作はほかに「臨死体験」「電脳進化論」など。長崎県出身。東大卒。本名は橘隆志。

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世界大百科事典(旧版)内の立花隆の言及

【総合雑誌】より

… 戦後の《文芸春秋》は,推理作家松本清張が占領期と昭和戦前の史実にいどんだ《日本の黒い霧》《昭和史発掘》を長期連載するなどドキュメンタリーな方法によって読者を獲得し,国民雑誌という評を得るにいたった。とくに児玉隆也,立花隆を起用して田中角栄首相の政治資金工作をあばいた〈金脈追及〉記事は,在日外国人記者たちの首相会見要求をみちびいてロッキード事件に先立つ田中内閣退陣を実現させた。上記の各誌はいずれも月刊誌であるが,このほかに週刊で総合雑誌の性格が濃いものに《朝日ジャーナル》(1959),《エコノミスト》(1923)がある。…

【文芸春秋】より

…現在,不特定多数を読者対象とする月刊誌としては最大の部数を保持している。74年11月号に掲載された立花隆〈田中角栄研究〉,児玉隆也〈淋しき越山会の女王〉は,田中角栄首相退陣の引金となった。【京谷 秀夫】。…

※「立花隆」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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