精選版 日本国語大辞典 「立原翠軒」の意味・読み・例文・類語
たちはら‐すいけん【立原翠軒】
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江戸後期の水戸藩の儒学者。名は万(よろず)、字(あざな)は伯時(はくじ)、通称甚五郎(じんごろう)。号は東里(とうり)、此君堂(しくんどう)、致仕後翠軒。父は水戸藩士立原豊(号蘭渓(らんけい))。徂徠(そらい)学派の田中江南(たなかこうなん)、大内熊耳(おおうちゆうじ)に学ぶ。1766年(明和3)彰考館(しょうこうかん)編修となるが、朱子学派に異端視され不遇をかこつ。1786年(天明6)小納戸役(こなんどやく)に進み、彰考館総裁に就任。1797年(寛政9)から『大日本史』の編纂(へんさん)方針をめぐって門人藤田幽谷(ふじたゆうこく)と対立、1803年(享和3)致仕を命じられ、総裁を辞任。この間『大日本史』の校訂に全力を傾け、定本を作成した功績は大きい。蝦夷地(えぞち)問題への関心も強く、1887年には老中松平定信に「天下の三大患」についての上書を提出、ロシアの脅威を説いた。著書は『西山遺聞(せいざんいぶん)』『楢林雑話(ならばやしざつわ)』『海防集説(かいぼうしゅうせつ)』『此君堂文集』など。能書家としても知られた。
[小松徳年]
『前田香径著『立原翠軒』(1963・立原善重)』▽『吉田一徳著『大日本史紀伝志表撰者考』(1965・風間書房)』
(鈴木暎一)
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江戸後期の儒者。水戸藩士。名は万,字は伯時,通称は甚五郎,致仕後翠軒と号する。父蘭渓に学び,のち江戸に出て徂徠派の大内熊耳(ゆうじ)に入門したが,藩の学風(朱子学)に反するため排斥された。しかし6代藩主徳川治保(はるもり)に認められて侍読となり,1786年(天明6)彰考館総裁に就任し,《大日本史》編纂事業を再興した。門人に藤田幽谷・小宮山楓軒らを出し,著書に《此君堂文集》がある。
執筆者:鈴木 暎一
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…水戸城下の古着商の子。幼時から利発で,藩の史局彰考館総裁の立原翠軒に儒学を学び,その推薦で彰考館に入り,やがて編修,総裁となるが,一時郡奉行を兼任する。幕末における内外の危機を深刻に受け止め,一方では経世に役だたぬ当時の儒学を批判し,儒学を実用の学に建て直そうとすると同時に,他方では対外的危機にあたって攘夷を鼓吹し,また藩財政の窮乏と農村の疲弊とが相互に因果をなす藩政の改革を唱道する。…
※「立原翠軒」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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