立久恵峡(読み)たちくえきよう

日本歴史地名大系 「立久恵峡」の解説

立久恵峡
たちくえきよう

出雲市乙立おつたち町から所原ところばら町にかけての神戸かんど川沿いの峡谷山陰耶馬渓やばけいとも称し、両岸に一〇〇メートル以上の断崖が続く。山陰における代表的な集塊岩峡谷として国指定名勝および天然記念物。藩政時代には松江藩主の松平氏は代々立久恵清遊を年中行事の一とし、馬木まき村に御成門を常設し、ここから川舟でさかのぼり、立久恵御賞覧場で一日の清遊を試みた。亀淵山飛光ひこう寺がかつてあり、縁起によれば天長二年(八二五)薬師如来が亀に乗り光を発しているのを巡錫中の高野山学匠浮雲が巡拝し、高さ一二〇丈余の巌窟に安置した。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「立久恵峡」の意味・わかりやすい解説

立久恵峡
たちくえきょう

島根県西部、出雲(いずも)市の神戸(かんど)川の峡谷。国指定名勝・天然記念物。県立自然公園。集塊岩質安山岩が選択侵食されてできたもので、高さ100~200メートルの急崖(きゅうがい)が約2キロメートルにわたって続く。左岸には烏帽子(えぼし)岩、ろうそく岩、猿(さる)岩、屏風(びょうぶ)岩、天狗(てんぐ)岩などとよばれる奇岩が連続する。明治の文学者大町桂月(けいげつ)は山陰の耶馬渓(やばけい)と称した。峡谷の中央には立久恵薬師を祀(まつ)る霊光(れいこう)寺がある。峡谷に沿う遊歩道もあり、付近にはユースホステル、旅館、キャンプ施設や多目的広場を備えた「わかあゆの里」、立久恵峡温泉がある。JR山陰本線出雲市駅からバスの便がある。

飯田 光]


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改訂新版 世界大百科事典 「立久恵峡」の意味・わかりやすい解説

立久恵峡 (たちくえきょう)

島根県出雲市の旧出雲市南郊の神戸(かんど)川中流にある峡谷。安山岩質角レキ集塊岩が浸食されてできた地形で,約2kmにわたって火山破屑物からなる岩脈や節理が発達し,名勝,天然記念物に指定されている。かつては山岳宗教の行場で,五百羅漢は当時の遺跡として知られる。一帯は県立自然公園に指定され,天然林の樹種が豊かで,イワヒバセッコクスミレモなどの大群落が見られる。
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百科事典マイペディア 「立久恵峡」の意味・わかりやすい解説

立久恵峡【たちくえきょう】

島根県出雲市南部の峡谷(名勝・天然記念物)。神亀(しんき)峡とも。神戸(かんど)川上流にあり,長さ約2km。安山岩質角礫(れき)集塊岩が浸食を受けて高さ100〜150mの急崖をつくり,岩柱や奇岩が多い。江戸時代には松江藩主が立久恵清遊を年中行事の一つとしていた。出雲市からバス。

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