穴井六郎右衛門(読み)あない・ろくろうえもん

朝日日本歴史人物事典 「穴井六郎右衛門」の解説

穴井六郎右衛門

没年:延享3(1746)
生年:生年不詳
江戸中期の義民。幕府豊後国(大分県)日田郡馬原村の庄屋。享保19(1734)年に日田代官として入部した岡田庄太夫の年貢増徴策に反対して年貢軽減,夫食給与を要求する。延享3(1746)年六郎右衛門は次男要助と馬原村組頭飯田惣次の3人で江戸越訴を展開。願書は受理され暮れに帰国したが,同年12月16日に幕府は彼らの処罰を命じた。六郎右衛門は捕らえられて即日斬罪,獄門。要助,惣次も処刑され,追放,過料に処せられた者も含めると441人に達する。昭和25(1950)年4月日田市亀山公園に顕彰碑が建てられ,墓は日田市財津竜川寺にある。<参考文献>「寛延雑秘録」(『編年百姓一揆史料集成』3巻),武石繁次『日田義民伝』,『日田市史

(宮崎克則)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「穴井六郎右衛門」の解説

穴井六郎右衛門 あない-ろくろうえもん

?-1747* 江戸時代中期の農民
豊後(ぶんご)(大分県)日田郡馬原村の庄屋(しょうや)。日田の代官岡田庄太夫(しょうだゆう)の年貢増徴政策に反対して,延享3年江戸の幕府評定所へ訴状提出。受理されたが,同年12月捕らえられ処刑された。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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