稲葉山(読み)いなばやま

精選版 日本国語大辞典 「稲葉山」の意味・読み・例文・類語

いなば‐やま【稲葉山】

[一] 岐阜市の長良川南岸にある金華山別名戦国時代、斎藤道三が稲葉山城を構え、のち織田信長が攻略し、岐阜城と改めた。標高三二九メートル。破鏡山。
※俳諧・如行子(1687)「凩のさむさかさねよ稲葉山〈落梧〉 よき家続く雪の見どころ〈芭蕉〉」
[二] 鳥取県鳥取市国府町にある山。標高二四九メートル。歌枕として知られる。→いなば(因幡)の山

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日本歴史地名大系 「稲葉山」の解説

稲葉山
いなばやま

国府町と鳥取市の境にある山で、標高は二四八・九メートル。狭義にはピーク付近のみをさすが、広義には鳥取市・福部ふくべ村と国府町との境に連なる尾根沿いの標高二〇〇メートルから三〇〇メートルの丘陵全体をさす。因幡山・稲羽山とも記し、江戸時代にはもっぱら宇倍野うべの(宇部野山)と称されたが、上野うえの山とよばれることもあった(在方諸事控)。「因幡民談記」によれば山上に上野とよばれる平坦な箇所があるといい、上野の呼称は宇倍神社の裏山続きであることから宇倍野が転訛したものという。南麓には伊福吉部徳足比売の墓をはじめ多くの古墳が散在するほか、国庁・国分寺などの跡も控えており、古くから親しまれてきたことがうかがえる。文亀三年(一五〇三)一二月成立の「延喜式神名帳頭註」所引の「因幡国風土記」逸文によれば、仁徳天皇五五年三月に因幡に赴いた武内宿禰亀金かめがね(当山中腹、宇倍神社旧社地という)に「双履」を残して行方知れずとなり、「宇倍山」の麓に祀られたという。

稲葉山
いなばやま

[現在地名]小浜市太良庄

太良庄たらのしよう太良庄の南、現遠敷おにゆう上中かみなか下野木しものぎと境を接する地域をいう。「若狭国守護職次第」は建久七年(一一九六)のこととして、稲庭権守時定の跡を津々見忠季に給うと記す。若狭国最大の在庁官人時定の没落後、太良庄地頭給田は忠季に引継がれたが、稲庭時定となんらかの関係で稲葉山の地名が残ったと考えられる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「稲葉山」の意味・わかりやすい解説

稲葉山
いなばやま

金華山」のページをご覧ください。

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