稲妻雷五郎(読み)イナズマライゴロウ

デジタル大辞泉 「稲妻雷五郎」の意味・読み・例文・類語

いなずま‐らいごろう〔いなづまライゴラウ〕【稲妻雷五郎】

[1798~1877]第7代横綱常陸ひたちの人。入幕後16年間の勝率90.9パーセントという。松江藩の抱え力士。→第6代横綱阿武松おうのまつ →第8代横綱不知火しらぬい

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「稲妻雷五郎」の意味・わかりやすい解説

稲妻雷五郎
いなずまらいごろう
(1798―1877)

7代横綱。常陸(ひたち)国(茨城県稲敷(いなしき)郡阿波崎(あばさき)村(現稲敷(いなしき)市)出身。佐渡ヶ嶽(さどがたけ)部屋所属。1824年(文政7)入幕、4年後に大関昇進、30年横綱を張る。6代横綱阿武松緑之助(おおのまつみどりのすけ)と並んで一時代をつくり人気を集めた。入幕から42歳の引退まで16年間に負け越しは1回のみ、勝率90.9%。相撲道の極意『相撲訓』を残し、また俳句にも親しんだ。雲州(うんしゅう)松江藩(松平氏)抱え力士。

[池田雅雄]

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「稲妻雷五郎」の解説

稲妻雷五郎 いなずま-らいごろう

1798-1877 江戸時代後期の力士。
寛政10年生まれ。江戸の佐渡ケ岳(さどがたけ)部屋にはいり,文政4年(1821)初土俵,7年入幕。11年大関にすすみ,出雲(いずも)松江藩主松平氏の抱え力士となる。13年7代横綱。天保(てんぽう)10年(1839)引退。身長188cm,体重145kg。幕内成績130勝13敗。明治10年3月29日死去。80歳。常陸(ひたち)(茨城県)出身。

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